さぐりさぐり、めぐりめぐり

借り物のコトバが増えてきた。

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人生はもうずっと日曜日の午後なのか。『ベロニカは死ぬことにした』より

絶望的な気持ちで窓の外を眺めていた
紺碧の空と木一本見当たらないなだらかな丘陵地帯をバスはゆく
時折鮮やかなひまわりたちが揃いも揃って太陽の方を向いている

「ムズング!」
あんなに鬱陶しい視線と関わりを求められた昨日までがすでに懐かしい
降り立った新たな大陸はあまりに静かで、そして整然としている

城塞にぎゅっと詰めこまれた街とメセタはあまりに断絶され
ときどき荒野に見かけるのは羊飼いくらいだ 

わずか3日前、ウガンダのマサカを出発した夕方のバス
悶々としていた、あと少しで繋がると思っていた事象が
頭の中に誰もが一つ所持している「人生」という大傑作が
ようやく始まることを予感した

今を逃したら…そう思うと
よく揺れ、次第に暗くなる車内でも構わず
ボロボロの日記帳に書きなぐった

知らなかったよ
木になってるマンゴーがこんなに甘いなんて
さっき掘ったポテトが食卓に並んでるよ
水筒2本で身体が洗えるなんて
一晩にして5匹の命を産んだ母豚はその後胎盤を食べるんだ 

知らなかったよ
マラリアで入院する子の看病にマラリアの子が自転車を漕いで向かうんだ
教えてもらえないと人は前向いて歩きながらおしっこをするよ
エイズにならないためには?」というテストの正解はなんだかわかる?
「夜道を一人で歩かないこと」レイチェルの解答用紙にはそう書いてあったよ

知りたい
もっと知りたいよ
この世の中のまだ知らない
もしかしたらまだ見せてもらえていない
暗がりを
つながりを
ひかりを
真実を

 

お父さん、お母さん
俺はものかきになるよ

エドアード、おまえはもう自分の人生の責任を取れる年頃だ。わたしたちはこれまで、できる限り我慢してきたが、もういいかげん、絵描きになるなんてバカなことはやめて、自分のキャリアの方向を決めなければいけない年頃だ」

「でも、父さん、絵描きになることが、ぼくのキャリアなんだよ」

「おまえへのわたしたちの愛はどうなるんだ。おまえにいい教育を与えたいがために努力してきたことは?おまえはこんなじゃなかったはずだ。そして今起きていることが、事故のせいだと思わざるを得ないんだ」

「聞いてよ、ぼくは二人を、何よりも、世界の誰よりも愛しているよ」

大使は咳払いした。直接的な愛情表現に慣れていなかった。

「それなら、わたしたちへの愛のために、頼むから、おまえの母さんの望むようにしてくれ。しばらく絵を描くのをやめて、おまえと同じ社会階級の友だちとつきあって、また学業に戻るんだ」

「父さんはぼくを愛してるんだろ。なら、そんなことは言わないでくれよ。自分が大切にしてることのために闘って、いつもぼくのいい模範となってきたんだから、なのに、自分の意志もない男になれだなんて言わないでくれよ」

「わたしは愛のために、って言ったんだ。そんなことは今まで口にしたこともないが、今まさにおまえに頼んでるんだ。おまえのわたしたちへの愛のために、わたしたちのおまえへの愛のためにも、帰ってきてくれ。物理的な意味だけじゃなく、本当に帰ってきてくれ。おまえは自分に嘘をついて、現実から逃げているんだ。おまえが生まれてから、家族の人生がどんなものになるか、ずっと夢を描いてきたんだ。おまえはわたしたちの全てで、未来で、過去でもあるんだ。おまえの祖父たちは公務員で、外交の世界に入り、梯子を登ってゆくために、ライオンのように戦わなくてはならなかったんだ。そしてわたしも、おまえの場所を作るために、おまえが楽に生きられるようにがんばってきた。大使として、初めて書類に署名したペンをまだ持ってるし、おまえが初めて署名する時に渡せるように、今でも取ってあるんだ。わたしたちを裏切らないでくれ。永遠に生きていられるわけじゃないし、静かに死んでいきたいんだ。おまえが人生の正しい道を歩いていると安心しながらね。我々を本当に愛してるなら、言う通りにしてくれ。もし愛してないなら、このまま続けるがいい」


エドアードは何時間もブラジリアの空を見上げて、青い空を動いていく雲を見て過ごした。そんな美しい雲も、中央ブラジルの大平原の乾いた地表を湿らす雨は一滴も含んでいなかった。彼も同じくらい空っぽだった。

もし彼が今の自分のままでい続ければ、母親は悲しみで消えてしまい、父親もそのキャリアへのやる気を失くしてしまい、二人とも、息子の子育てに失敗したことを互いのせいにするだろう。もし絵を諦めてしまったら、楽園のビジョンは永遠に日の目を見ることはなくなる。そしてこの世界に、他に同じくらいの喜びや楽しみを彼に与えてくれるものはないだろう。

彼は周りを見ると、自分の絵を見つけて、ブラシ運び一つ一つに籠めた愛と意味を思い出したが、どの絵も平凡に思えてきた。自分は偽物でしかなく、自分にはない才能をほしがるあまり、親を落胆させてしまったのだ。

楽園のビジョンは、英雄や殉教者として本に登場するような、選ばれし少数のもので、すでに幼い頃から、世界が自分に何を望んでいるのかを知っている人のものだった。あの初めて読んだ本の中の、いわゆる真実は、物語作家の作り出したものだった。


夕食の時、彼は両親に彼らの方が正しかったようだと言った。ただの若者の夢に過ぎなかった、絵への興奮はもう冷めたと。両親は喜び、母親は泣いて、息子を抱きしめると、全てが普通に戻っていった。

その夜、大使は、秘かに自分の勝利を記念して、一人でシャンパンを開けて飲んだ。それからベッドに入ると、妻は数年ぶりに、すでに静かに眠っていた。

次の日、彼らはエドアードの部屋がひどく散らかっているのを見つけた。絵は切り裂かれ、息子は空を見上げて隅の方に座っていた。母親は彼を抱きしめて、どれだけ彼を愛しているかを告げたが、エドアードは何の反応も見せなかった。


彼はもう愛とは関わりあいたくなかった。もうどうでもよかった。容易く諦めて、父親のアドバイスに従えると思ったのだが、その作品に入り込みすぎていた。人を夢から隔てている深い裂け目を渡ってしまっていたから、戻ることはできなくなっていた。もう前にも後ろにも身動きが取れなくなっていた。いっそ幕を引いてしまう方が簡単だった。

 ▼引用元

ベロニカは死ぬことにした (海外シリーズ)

パウロ コエーリョ 角川書店 2001-02-01
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▼ソース

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