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いつか病名がつくかもしれないこと

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Photo by Feliphe Schiarolli on Unsplash

ずっと不思議に思っていることがある。

32/140

これは中学に入学したての頃、はじめて知らされた自分の客観的な学力順位だ。どの都道府県も同じなのかは定かではないけど、地方で公立小学校から公立中学校へと進学する多くの人は同じ経験をしているのかと思う。

はじめて自らの学力の座標を知る。一学年140人中32位。どうやら自分はなかなか頭が悪くないということに気づいた。結局、卒業までの3年間で40位以下を取ることはなかった。

テストの結果から正当に評価をしているとすれば、内申点は納得のいく数値ではなかった。それでも地元では誇れる文武両道の進学校になんとか合格することができた。

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2歳上に兄がいる。事実としてだけ述べているが、兄は対照的に3年間でおそらく2桁の順位をとることはなかったと思う。兄の学年はたしか180人くらいだったが、良くても「100位にギリギリ届かない」くらいの順位だった。(逐一チェックもしていないし、それほどコミュニケーション量は多くない方なので正確には分からない)

うちの家系は両親とも高卒。父が工業系、母が商業高校から銀行就職という典型的な労働者の家庭だ。(身近に大卒者はいなかったし、高校受験をする寸前まで母は自分が当然工業高校に進むものと思っていた)

曲がりなりにも同じ血が流れていて、兄に比べて何か特別優遇された教育を受けた覚えもない。しかし、中学最初のテスト結果は大きく違った。この差はいったい何なのだろうか。

念を押して言うが、兄と自分の違いについて強調したいわけではない。それを言うなら、むしろどうして初期設定でトップ5に入れるほどの頭脳を持って生まれられなかったのか。また、デフォルトで自分より優れた能力を持つ人間がいるのか、ということについてときどき本気で不条理だと悔しく思うことすらある。

そう、これは「不条理」か「気まぐれ」についての話だ。

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事実、地方の公立中学の同級生と言えば、小学校で同じ授業を同じ教室で6年間受けているわけだ。小学校の時点でよほど突き抜けた天才がいることは分かっていたし、その逆についてもなんとなく把握していた。

小学校時代の自分についての記憶では、宿題以上に勉強に熱心に取り組んだ記憶もないし、それでも宿題は提出していたから露骨にサボっていたわけでもない。多くの同級生がそうやって過ごしているように過ごしていた。それに尽きる。

それでも、中学最初のあのテストで、あいつよりは順位が良くて、あいつよりは点数を取れていないということを知った。皆同じ教育を受けてきたはずなのに、これだけ開きができてしまうのは何故なのだろう。

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26歳になった。大学卒業後、自分がうまく社会人として組織の中で働けない人間であることを知った。(学生時代から、周りが当たり前にできるのに自分にはできないことがある、ということは自覚していた)

正社員、派遣社員、無職、フリーランス、いろいろ嫌になって誰にも言わずにしばらく遠い国に逃げたりした。明らかにうまくやれない自分に苦しんだ。苦しんでいる。

精神科の診断で「ADHD注意欠陥多動性障害)」、いわゆる「発達障害」だということが分かった。

自覚はあった。日常生活のだらしなさはもちろんだが、もっとも無力感を突きつけられたのが中学2年あたりからの数学の宿題だった。どれだけ、時間をかけたり、ヒントを見たりしても全然頭が働かないのだ。分からなすぎて、徹夜して朝を迎えて泣いたことを覚えている。

三者面談の場で親が担任教師にそのことを伝えると「その悔しい気持ちは大切だ。時間をかけて取り組むのは良いことだよ。その姿勢は大切にね」と返された。親と担任は微笑ましげな様子で談笑に移った。全然違うと思った。今思えば、あのときから、少しだけ医療的な視座を欲しがっていたように思う。

それでも中学レベルであれば、どの教科もなんとか8割は得点することはできた。ただ数学や理科では、残り2割の応用問題にどうしても歯が立たなかった。ふざけているわけではないのに、いつも最後の2〜3問は白紙のままテスト用紙は回収されていった。

高校に入ってからは、数学・理科などの理系科目で40点以上取ることが難しくなり、明らかに適性がないことに気づいた。その代わり、社会科目は常に1位から3位くらいの間をキープしていた。(得意不得意が露骨なのもADHDの一つの特徴)

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近年、私と同じように、自覚のある大人のADHDが爆発的に増えた。でも、これは人が「ADHD」のことを知ったというだけで、これまでにも多くの人が同じ特性を抱えていたことは間違いないだろう。

ただ、21世紀の日本で働くということは、ある意味神経症レベルの基準を遵守し続けなければならないということに等しく、それ故に発達障害という問題が顕著になっているようにも思う。

「お客は神様」ではなく「お客はお客」の精神の国で、これほどのADHD自覚者は現れることはないだろう。なぜなら、現実的に仕事が雑だということを指摘されて困ることが少なく、自身の欠陥に思い悩むことが日本に比べると少ないからだ。(皆無とは言ってない)

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現に、相変わらず学歴は、社会のどのクラスタに自分を配属させるのかという点で大きな基準となっている。

もしも、どうしても良い成績を取りたいのに、大学に行きたいのに、そういう気持ちや意志とは裏腹に努力が結果にまるで結びつかないのだとしたら…。誰よりも机に向かってその内容を分かろうとしているのに、一度教科書を読んだだけで大方の内容を理解してずっと遊んでいる天才に成績が劣ってしまうとき、人はその答えを何か客観的な事実に求めるのではないだろうか。人は頑張れば、学べば、習得するものだろうか。


それが叶わないと自覚するとき、「自分は障害者なのではないか」と疑う事例が出てきたりするのではないだろうか。

「◯◯障害なんじゃないか? いや、△△症なのかもしれない……」


私なら知りたい。自分が何を背負っているのかを。
そのとき私は運命を恨んだりするのだろうか。卑屈になったりするのだろうか。今の自分がそうしているように。