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発達障害児童と保護者『夜間もやってる保育園』より

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10月から通っている毎日新聞社GARDEN主催の毎日ビデオジャーナリズムラボ。市民ジャーナリズムにおける映像表現を学ぶ全6回の連続講座も折り返し地点。最終回に向けて各々が卒業制作に向けてトピックを決めて取材・撮影の準備に取り掛かっている

卒業制作は「私の伝えたい現場 –1人の視点から見る-」というテーマのもと、5分の動画にまとめることになっている。第4回の1月はその予告編を1分間の動画にするという課題設定だ。以下、ぼくの提出動画。

 

 
相変わらずのギリギリ癖でシーン数の少ない粗末な動画になってしまった。トピックは「発達障害」。自分自身、これまでの人生、どこかみんなと同じようにいかないという悩みを持っていて、絶えずそのことに悩んできた。

2年前、新卒入社した会社でやはりうまくいかない日々が続き、はじめて精神科に行ったところ「ADHD」(そのときは二次障害として「適応障害」も併発)という診断が下りた。怠惰な人間だという自責から少しは解放されたものの、同時に、一生付き合っていく自分の性質なのだと理解したときの残酷さは忘れられない。

現段階ではポジティブなメッセージに収束していくものになるのか、はたまたどこまでも事実・リアルをもとにしてダウンに入っていくのかはまだ決めていない。

各々の動画を紹介しつつ、グループのメンバーや講師の方々にアドバイスをいただく。ぼくのグループにはレギュラー講師で毎日新聞社取締役の小川一さん、この日のゲスト講師で『ゆきゆきて、神軍』に助監督として参加した映画プロデューサーで日本映画大学教授の安岡卓治さん、さらにグループワークには放送作家/脚本家のきたむらけんじさんにも加わっていただいた。

アドバイスは映像制作のことにとどまらず、グループ全体での「発達障害と人生」トークへと発展していった。ドキュメンタリー界にもADHDの方が活躍されており、いわゆる「Gifted」として肯定的に捉えることだってできること。
またグループに小学校教師の方もいて、生徒の中にも多動児がいることなども話にあがり、思った以上に認知されているトピックであり、関心をいただくことができた。

『夜間もやってる保育園』

中でも、映画監督・大宮浩一さんの作品『夜間もやってる保育園』というドキュメンタリー映画を見たらどうか?と打診をいただけたのが大きかった。

 

「保育園落ちた、日本死ね」などで昨今話題の待機児童問題と向き合う24時間体制の保育園を追ったドキュメンタリー。

正直、子供もいない独身という立場からはなかなか自分ゴトとして捉えられず、距離を置いていたこの問題。しかし、24時間眠らない日本の過度な商業化の影響から夜間も子供を預けざるをえない親の声や状況は決して他人事に思えなかった。時間とお金の不自由が肌身にしみる内容となっている。

そんな課題に対して24時間体制で保育に取り組む東京・大久保の「エイビイシイ保育園」や北海道、沖縄の夜間保育園を中心に本作では取り上げられている。保育園の運営側・保護者・子供たちにとどまらず、給食で使用する食材の供給元や療育保育の現場にも出向いて取材されていて、取材者の情熱を感じる。

発達障害と療育保育

中でも個人的に印象的だったのは注意欠陥や多動の目立つ児童に対する療育と、その保護者の声だ。

ぼく自身今でこそADHDを自覚しているが、幼少の頃から問題児であった記憶はない。ADHDといっても現れ方は様々だと思う。ぼくの場合は忘れ物・なくし物が極端に多かったり、走り回ることはなかったがとにかくジッと先生の話を聞くのが苦手でよく姿勢を注意されていた記憶がある。

作品の中に登場する多動児は、友達を叩いたり、保育士の言うことを極端に聞かなかったり。でもこういう子ってどこにでもいる。そんな無邪気な当人とは裏腹に、保護者は深刻に悩んでいた。

「将来のことも考えて、普通になってほしい。小学校で特別クラスに入っちゃうともうずっとそのままな気がして不安。だから普通クラスに入れてほしい。普通クラスに入れば、周りの子を見て自分と比べて徐々に変わるんじゃないかと思っている」

保護者の切実な本音である。子供に不自由のない社会生活をしてもらいたい。この問題を繊細に捉えている保護者であれば、将来的な心配をしているはずだ。そのうえ、「自分の育児の方法や、しつけがならなかったのではないか」とナイーブになっていることも多い。

大人になってADHDを自覚した当事者としては、複雑な心境であった。そこに親の愛があることは痛いほど理解できる。しかし、周囲との比較で自分を異分子と感じ始めたところで多くの当事者は劣等感に苛まれる。頭で考えていることが心から離陸し、精神的に不調をきたす。

そんな保護者らを集めて療育保育の相談員が「大事なことなのではっきりと言っておきますが、落ち着きがなかったり、集中力が続かないのはお母さんやご家族の教育や躾が問題なのではないことをまず第一に理解してください」と語る部分が印象的だった。まったくもって同意である。

発達障害だけど」じゃなくて「発達障害だから」に目を向けて

ここからはまったくの個人的な意見であるが、むしろ、そこから「世の中に我が子をどう溶け込ませるか」よりも「我が子がどんな世界を描くか」に注目して、その芽を発見してほしい。

比較の中で育つと、周囲に対する自分の欠如と劣等感が強烈に育つ。故に「何者かになる」ことで自分を補強したいという思考ができる。しかし追随という方法では、うまく再現できない自分にまたがっかりして、ついには自分を見失う。

過去の失敗の記憶がはびこり、興味を持って何かをはじめても習得までに時間がかかり、喜びを感じるための苦痛期間が長く、当初あった興味がしぼんでしまう。そんなことのループに襲われる。

以前に比べて発達障害という存在が圧倒的に啓蒙され、わずかながら「ならでは」の生き方も提示され始めている。個人的にはシュタイナー教育など、個性を世界に対峙させる方法に注目している。俳優の斎藤工さんが小学校年代をシュタイナーの学校で過ごしたことは有名だ。インタビューは以下。


「違い」に気づいたときに、それを早期に矯正させて周囲へのゆるやかな同化にも可能性はあるのかもしれない。しかし、それを「Gifted」と捉え、育んでいく可能性が模索されれば、より素晴らしいとぼくは思っている。

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