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「誰のための希望?」安田菜津紀さんと陸前高田の一本松

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10月から始まった毎日新聞社GARDEN主催の毎日ビデオジャーナリズムラボ。毎月一度、日曜日の午後に行われる市民ジャーナリズムにおける映像表現を学ぶ連続講座だ。半年間(全6回)続く当講座は、レギュラー講師にジャーナリストの堀潤さん、白鴎大学客員教授下村健一さん、毎日新聞社取締役の小川一さん。そして毎回異なるゲスト講師を迎えて進行されるワークショップだ。

 

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講義終了後の懇親会にて

第2回の11月26日、ゲストはフォトジャーナリストの安田菜津紀さん。実はフィリピンに滞在していた頃から共通の知り合いに安田さんについてお話を聞いたことがあったり、個人的にもかねてより楽しみにしている回だった。

安田菜津紀さんプロフィール
1987年生まれ。studio AFTTERMODE所属のフォトジャーナリスト。上智大学卒。16歳のときに「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアに子供記者として派遣され、現地の子供たちと日々を過ごしたことを原体験に伝える職業を選択。現在は東南アジア、中東、アフリカ、南米の貧困・難民問題、そして岩手県陸前高田市の震災後を記録し続けている。詳細はこちら

陸前高田市「希望の一本松」のエピソード

2011年3月11日の東日本大震災で甚大な被害を被った岩手県南端に位置する陸前高田市。震災前までこの街の海岸沿いには高田松原と呼ばれる7万本の松が立っていて、日本百景にも指定されていた。

しかし、津波によってほとんどの松の木がなぎ倒されてしまう。そんな中、一本だけ、津波に耐えて今なお海岸線に佇む松があった。

安田さんは夫・佐藤慧さんの実家があるこの街に震災後かけつけ、そのあまりに無残に波にのまれた街の様子をどう記録していくか戸惑ったという安田さん。ようやくしっかりとカメラで捉えられたのが、朝日を背景にした一本松の姿だった。

震災で多くを失ったこの街にようやく何かを掲げられる、そんな気持ちだったという。

夫・佐藤慧さんの父からの思わぬ反応

写真は新聞に掲載され、「希望の松」として当時世の中に拡散され、大きな反響を得た。その記事を持って、真っ先に向かったのが津波で生き残った義父のところ。希望を、力をシェアできる…はずだった。

しかし、義父の反応は想定外のものだった。 

 

「なんでこんなに海の近くに寄ったんだ!」

佐藤さんの母は震災で亡くなった。 

 

「あなたのように、震災以前の7万本の松と一緒に暮らしてこなかった人たちにとっては、これは希望に見えるかもしれないよ。だけど僕たちのようにここで生活してきた人たちにとっては、あの松林が一本“しか”残らなかったんだって、波の威力の象徴みたいに見えるんだよ」

シャッターを切る前にすべきこと、それは人の声に耳を傾けるということ。安田さんはこのとき、そう学んだという。

※このあたり詳細は安田さんの著書『写真で伝える仕事』にも記載されているのでぜひ。

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誰のための希望?

朝日を背景にそびえる一本松。絶望の中に見つけた命の姿。体力的にも精神的にもハードな取材の中で出会ったその光景、もし自分が同じ状況で対峙したらどうしただろうか。

インタビューや取材を記事にするときにいつも考える事なのだが、取材者というのは結構骨の折れる仕事だ。現地に入って、それを外の世界に伝える上で大切なのは「代弁」だ。そう思っていた。

しかし、どう考えても「代弁」と呼ぶには外せないであろう伏線を省かざるを得ないことばかりだ。書き手に解釈や編集権を委ねられる以上どうしても、ある人にとっての公正な報道にならないこともある。

昨今マスコミが世間で叩かれる中、元NHKキャスターの堀さんは言う。「多くは悪意なき選別作業なんです」と。

 

同じく撮影も、いや、撮影こそ瞬間に編集・選定作業が行われ、“撮影者の”心情が宿る。安田さんの写した一本松は、自身の、そして希望の見えない日本全国でニュースを見ている人々の「救われたい」という想いだったのかもしれない。

その表現が何に寄り添いたいものなのか、どんな結果を期待するのか。そして狙い通りでも、図らずともどんな結果をもたらすのか。

 

「誰のための報道」か。