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「難しくてニュースがわからない…」素人ジャーナリストの取材2.0

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「新聞読んでる?」

「ああ、まあね(スポーツ欄くらい)」

世の中のこと、知らなきゃいけないとは思うけどニュースとか新聞を読んでても難しい言葉だらけでイマイチよくわからない。低い選挙の投票率や減少の止まらない新聞の購読数。本当のところ、ぼくも新聞はとっていない。情報はもっぱらTwitterの各ニュースアカウントから流れてくる投稿で、気になる見出しのものだけ開いて読んでいる。


とりわけ、金融や経済分野が苦手だ。ここ数年、お金に関する本や経済についての本を読んできたが、まだまだ専門的な領域となると抵抗がある。一つひとつの記事を読むために求められる前提知識が多すぎて参ってしまうのだ。

こうした無関心ゆえに参加しない姿勢が、決定的な悲劇を自身の生活レベルに招いてしまうことも否めない。選挙がまた次もある確証はどこにもないのだ。情報を得るということが「努力義務」という位置付けである限り、事態は大きく好転しないだろう。

ではどうしたら良いのだろうか?政治や金融など、一般大衆にとって自分ゴトにしづらいテーマに関して同じ目線でアプローチする一人のジャーナリストがいる。今回は彼の提唱するジャーナリズムの新たなあり方を紹介したい。

ヨリス・ライエンダイクとは?

ジャーナリスト。アムステルダム大学およびカイロ大学アラビア語政治学を学んだ後、オランダの有力紙2社の中東特派員として19982003年の5年間をエジプト・レバノンパレスチナに滞在。中東滞在期間に目の当たりにした国際メディアの構造的問題、独裁政権下での報道の困難さを著した『こうして世界は誤解する』(英治出版)はオランダで25万部のベストセラーとなり、2006年にはオランダで「最も影響力のある国際ジャーナリスト40人」のひとりに選出される。

2011年から2013年にかけて、英ガーディアン紙のオンライン版で「Banking Blog」を連載。ロンドンの金融街で働く人々の知られざる素顔に迫り、最大数千件のコメントが寄せられる人気コラムになった。その経験をもとに執筆した本書もオランダで30万部以上のベストセラーを記録。オランダの市民が投票する「NS Public Book of the Year 2015」を受賞し、英イブニング・スタンダード紙の「Best Books of 2015」に選ばれた。*1

ヨリスさんの人柄や考えは「ほぼ日」の糸井重里さんとの対談で詳しく紹介されている。これがとても面白い。

ほぼ日刊イトイ新聞 - ゼロからはじめるジャーナリズム

金融素人のジャーナリストがロンドンの金融街を徹底取材

ヨリスさんは大学院卒業後、エジプトやレバノンでの中東特派員からジャーナリストとしてのキャリアをスタートさせていて、金融や経済についての分野については専門領域といえる立場にはなかった。リーマンショックの被害を受けた世界中の大衆と同じように、その分野に関してほとんど素人のヨリスさんがロンドンの金融街を舞台に取材を重ねた。2011年から2013年にかけて金融業界に携わる200人にインタビューした。

取材の過程はイギリスのガーディアン紙のオンライン版「Banking Blog」に投稿され、大きな話題を呼んだ。その取材の様子がまとめられた『なぜ僕たちは金融街の人びとを嫌うのか?』よりいくつか取材の姿勢と閉鎖的な金融街(「だから、外側からはわからないのか!」という発見)について印象深い記述を引用したい。

答えを見つけるために、僕はオランダの新聞紙上で実験を始めた。僕はまったくの門外漢。でも、一般的には重要で、複雑で、あきらかに退屈な問題を取り上げて、ずぶの達人の疑問を専門家の人たちにぶつけてみた。

電気自動車っていいアイデアなんですか?答えから新たな疑問が生まれ、それがほかの専門家への取材につながって、そんな僕自身の“学習曲線”みたいなものを記事にしてみた。業界のプロたちは快く取材に応じてくれたし、読者は僕がゼロから始めることを喜んでくれた。

記者自身があえて無知という状態から取材対象者との関係を作ることで、前提知識のない読者に追体験させることができる。もちろん新聞や雑誌という旧態の枠組みがあるマスメディアにおいてはフォーマットの変化は難しいかもしれない。その点、とらわれのないWEBメディアにおいては新たな挑戦の余地が存分に残されている。

「“銀行”っていう考えを取っ払わないといけない。銀行っていうと、行動と目的を共有する集団を想像するし、ひとつのまとまった考え方が銀行を動かしているように思えてしまう。でもそんなものはないんだよ。

それは、さまざまな力を持った人間の集まりなんだ。それぞれが自分の部署のことを“自分の組織”と表現する人もいる。社員は“銀行”のために働いてるんじゃなくて、だれかのために働いていて、自分の周りだけが世界なんだ」

世界を巻き込んだリーマンショックによって、資本主義嫌悪や金融業者をヘイトする傾向が強い今日。本書を読むと特にイギリスでその傾向が強いことがわかる。実際のところ、金融業界の内側にいる人びとは本当に強欲で自己中心的な“世紀の悪人”だったのか?という疑問を持ってヨリスさんは金融街に入っていく。

実際に内側で一人ひとりに話を聞いていくと、確かに「我こそは世界を支配している」と思い上がっているアナリストもいるが、生活を維持するために自身のポストを守りたいという切実な社員も多い。「金融」というカテゴリで距離を置いてしまっているが、その構成員は、実際には他の市民となんら変わらない人であることがほとんどだ。

このことは全く別の問題にも言える。日本でも嫌韓・嫌中といったヘイトが盛んだが、韓国や中国といった国と、韓国人・中国人という具体的な一人は全く違う。

ジャーナリストという立場では「これが事実です」と言わざるをえないことを、ウェブでは「なにも知らないんですけど」とか「まだ調べてる途中で間違ってるかもしれないんですけど、こういうことがわかったんですよね」ということをオープンにしながら、やっていける。この差は、とても大きいですよね。*2

もちろん各紙の記者にもわかりやすく伝えるという意識はあることだろう。しかし、枠・時間の制約によって、どうしてもその記者に蓄積された知識は前提として省かざるをえない。

これからのジャーナリストのあり方としては、未踏の情報に誰よりも先にアクセスして伝えることはもちろん、広く伝えられている問題についても自身をその分野については0歳児と見立てて学び始めていく過程を読者に追体験させていくことなのかもしれない。

まとめ:非専門家による「追体験させる」情報発信

「専門家でなくていい」

ずっとこんなやり方を待っていたような気がする。では、どうしてこれまではそうすることが難しかったのか。先に紹介した通り媒体特性ももちろん一つある。しかし、実際には「自分はそのことについて無知です」と言って人の前に立つことには勇気が伴う。

「知らない」ということを「不勉強」と一蹴してしまうインテリ層と、「知らなければ」という努力義務を追う一般大衆。義務やべき論で継続できるほど人は優秀にはできていない。実際に、遠い国の紛争や総理大臣の動向が自身の今日一日の生死に関わるものとは思えない。大事だとはわかっているけど、自分の中で優先度は高くないタスクは当然後回しになる。

むしろ多くの人がわからないでいてもらった方が都合が良いとさえ思っているメディアだってあるかもしれない。だからメディアの側に「ぼくもあんまりわからないんですけど」と言って一緒に問題について考えてくれるジャーナリストがいることはとても重要だ。だから、ぼくたちには正義のジャーナリズムじゃなくて、わかりやすくみんなを招き入れてくれる優しいジャーナリズムを求めていたのではないだろうか。

必要なのは専門的な質問ではなくて、ど素人のわからないところ、「そもそも」の疑問を当事者に投げかけられることだ。興味・関心のタネを市民に植えることが新時代のジャーナリストの役割だとぼくは思っている。

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本当は一人残らず参加しているはずの世界、世の中とのつながりを「再発見」させてくれるヨリス・ライエンダイクさん。おすすめです。
 

書籍はこちら

なぜ僕たちは金融街の人びとを嫌うのか?

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