【昨日みたいな今日】24歳の不安と憂鬱を動画にした
生まれてはじめて【動画】を自作した。
細かく分けて言えば、構成・撮影・編集(主演)という工程を一通り。
昨年あたりから、タブーに切り込むカナダ発のWEBメディアVICEに魅了され、動画という表現方法の訴求力に興味は持っている。言葉や写真という手段に加えて、動画もちょっとかじってみようと毎日ビデオジャーナリズムラボに参加している。
月に一度の講座では毎回課題が設定され、iMovieの操作方法もろくにわからないまま取り掛かってみたらこれが意外と面白い。ロング(引き)とアップ(寄せ)を交互に組み込むなど基本的な技術はもちろん、動的なカットと静的なシーンのバランス、一つ一つの動画の区切り方・組み合わせ方、言葉の載せ方、音楽の入れ方などの感覚的な気持ち良さを追求する作業に気づけばのめり込んでいた。
昔から時折、ミュージシャンの曲のPVを取り憑かれたように見てしまうことがある。動画制作はそんな中毒性の裏側を探るようで面白いし、技術以上にこれまで観てきたPVからいくつものアイデアやパターンを引用できたことが制作において大きなアドバンテージになったと振り返っている。
▼今回の課題
「多様性」「幸せ」「不安」のいずれかをテーマにつくった詩をベースに映像化。ポイントは多様な画角・光の効果・ストーリー性を意識。その動画にフリー素材の音楽を使用。
「昨日みたいな今日」24歳の不安と憂鬱を映像にする
【作中詞】
昨日みたいな今日 今日みたいな明日
昨日みたいな今日 今日みたいな明日
昨日みたいな今日 今日みたいな明日
昨日みたいな今日 今日みたいな明日
もうずっと 退屈な日曜の午後みたい
明日は 今日なのかもしれない
昨日みたいな今日 今日みたいな明日
曇天、孤独、変わらない日々をテーマに「不安」を表現できたのではないかと思っている。観ている人に解釈させる前にシーンを切り替え、ザラッとした余韻を残す。同じシーンを散在させることで日々のループ感を表現した。
しばらく洗っていなそうな仮住まいの煎餅布団と乾かしていない汚い長髪、深夜のカップ麺はまったく演技じゃないけど…。
P.S. 鬱のときは五木寛之にかぎる
社会のあらゆる分野で、躁から鬱への転換が起こる暗澹とした時代に、自己啓発の本がよく読まれる背景には、自分の生き方をちょっと変えることで世界が変わるかもしれない、という希望を誰もが失いたくないということがあるのでしょう。
下降していく社会と、個人的には上昇していこうとする人たちの摩擦、どこにも出口の見えない閉塞した社会、うだつのあがらない自分自身へのやり場のない怒り、なんとか自己を啓発してもっと幸せをつかむのだという姿勢は否定しませんし、抑圧されたまま発酵してガスが出ているような鬱の気分が、多くの人を心の病に向かわせているのではないでしょうか。
私は若い人たちに向かって、もっと元気を出せとか、夢をもとうなどというつもりはありません。ただ、世の中とはままならないものだということは、しっかりと受けとめなければならないと思います。
▼こちらの書籍より引用
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