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インドのちいさな出版社タラブックスが提示する現代社会のやり方への「?」とその代案

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黄色に赤に色づいた木々がまだまだ美しい12月の東京。都営三田線の終点、荒川堤防のすぐそば西高島平駅から歩いて約15分、板橋区立美術館にやってきた。

今、ここでは「世界を変える美しい本 -インド・タラブックスの挑戦」展が行われている。(※展覧会は2018年1月8日まで)

展覧会の詳細はこちら

「タラブックス」とは?

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タラブックスは南インドの都市チェンナイにある出版社だ。ギータ・ウォルフ氏とV.ギータ氏という2人のインド人女性によって1994年に設立された。今日まで脈々と受け継がれてきたインドの豊かな口承伝統文化を絵本にして世界へ届けるべく活動している。地域に伝わる神話に耳を傾け、民俗画家によって表現してもらい、それを出版まで組み合わせた文化の担い手集団である。タラブックスのつくる絵本は世界中で話題になっており、予約してその本が手元に届くまで1年以上かかることもあるという。

大量生産・大量消費真っ只中の20世紀末インド。貧富の差が激しく、受験に就職に熾烈な競争が繰り広げられるスピード要領社会において、タラブックスの絵本は一冊一冊民俗画家、編集者、デザイナー、印刷職人らによる手作業で大切に、そして時間をかけて作られる。
発展著しい途上国のインドでは、身分差別をはじめ世界でも最貧レベルの暮らしを余儀なくされている人々が無数に存在する。南インドも例外でなく、そういった人がたくさんいる。そんな中、タラブックスでは貧しい村の若者たちを印刷職人に育てるべく、職人たちは職業訓練にとどまらず、食事や寮での生活も共にしており、人間性・公共性も育んでいる。

時間をリスペクトする姿勢

「善きことはカタツムリのようにゆっくり進む」

インド建国の父マハトマ・ガンジーが残した言葉だ。

タラブックスは「時間」を蔑ろにすることなく、その価値を知る組織だ。
「本をたくさん売り、たくさん儲ける」という出版業界に限らない世界の秩序となっている資本主義的な考え方に、まるでアンチテーゼとも言える形で世に本を繰り出している。以下にぼくがタラブックスを知るきっかけになった書籍『タラブックス インドのちいさな出版社、まっすぐに本をつくる』(玄光社)の本文をいくつか引用したい。きっとタラブックスの掲げる理念や哲学がつかめるだろう。

つまり、タラブックスがしたことというのは、言葉が通じない地域で、歴史や文化的背景の詳細な資料もほとんどない状況で、出版に関する知識のない人びとと“対話しながら”絵本をつくり上げるという、社会学、人類学の域にもおよぶ活動だ。

 

今の時代は多くの選択肢があるように見えて、実はそのほとんどが同じようなものです。本当の“違い”というのはときに過激で、異質で、常識やぶりです。でもその違いは自分たちの文化と同じように 、対等に価値があり、世代を超えて受け継がれるべきものです。あらゆる違いは恐れるものや排除するものではなく、賞賛されるものなのです。

 

インドに行くと、自然とそのおおらかさに身を任せてしまうことがある。ふと自分を振り返る。私は「違う」ことを面白がれているだろうか。未知の異質なものに、周囲を見回して臆することなく「いいんじゃない」と表明できるだろうか。

 

注文を受けてたとえば「六ヶ月かかります」と告げたときに、相手がどんな反応をするのかを実は試してもいるのだ、とギータはいう。本の表面的な上澄みに対する評価ではない、その背後に広がるものづくりや働き方、考え方に共鳴してくれる人かどうかも、タラブックスにとっては重要なのだ。

 

締め切りというのは、ときに原動力になるし、全員がそこに向かって作業するゴールでもあるので悪いことではない。でも、あまりに締め切りにこだわると、中身は二の次で、間に合わせることそのものが目的という事態に陥りがちだ。(中略)でもタラブックスはそれをしない。納得できるまで時間を置き、再考し、何度でも話し合う。(中略)時間はすべての人に平等に流れているのだけれど、タラブックスの働き方を見ていると、使う人によって時間というのはずいぶんと違った性質のものになるのだと、当たり前のことに思い至る。

 

「合理性や時間の対価を求めて、彼女らを機械のように使うこともできます。しかし、それならば機械を使えばよいことです。人間が手で紙をつくるというのは、そういうことではない。この人数、このスピードでいい。みんなが昼寝できるくらいじゃないと!」

 

本(仕事)の質を保ちながら、私たち同士のよい関係性を保ち、働いている人たちとその仕事の関係性を保つには、比較的ちいさくあるということが大切なのです。 

“編集者”とはこんな仕事をする人のことを言うのか、と考えさせられる。「そこに在る文化・営み」と「価値のわかる消費者・受け手」の橋渡しを担っていることがわかる。いいことを言う人はたくさんいるが、本当のことを言う人はなかなかいない。

▼書籍はこちら

タラブックス インドのちいさな出版社、まっすぐに本をつくる

野瀬奈津子,矢萩多聞,松岡宏大 玄光社 2017-06-30
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人の暮らしは太陽・月・宇宙とか水・土・木に依存している

ここまでタラブックスについて解説してきたものの、実はこの展覧会に来るまでぼくは実際にタラブックスの絵本を手にしたことはなかった。展覧会では実際に日本語版の出ている絵本に限らず、英語版も手に取れるので心ゆくままに手にとってじっくりと読んだ。

 

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早く読もうと思えば、どれも1冊5分くらいで読めてしまうほどの文量なのだが、その紙ざわり、選び抜かれた言葉、美しいイラストのどれもが圧巻であり、つくり手の息吹を感じられるのだ。


こちらは『世界のはじまり』という、お気に入り作品の制作風景動画。この動画自体の構成も素晴らしいのでぜひ見てほしい。

圧倒的な存在との接続感 

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ぼく自身インドには2回渡航したことがあり、タラブックスゆかりの街にも行ったことがある。タラブックスの絵本からインドの旅で出会い、感じた風景の記憶を思い出した。走る鉄道から眺めたデカン高原のミルク色のあけぼの、頭に大きな荷物を乗せて夕日の方へ向かって歩くサリーの女たち。

あのとき眺めた景色の中にこれほど豊かな文化が育まれ、脈々と受け継がれているのだということを知って土曜日の午前に幸福感に包まれた。

 

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思えば、太陽とか星とか宇宙とか、そんな大きなものと人間の暮らしの接続感を初めて感じたのはブッダガヤだった。ブッダガヤはインド東部にある最も貧しいと言われるビハール州にあるブッダが悟った地だ。南インドに拠点を置くタラブックスが南インドの民俗芸術家だけでなく、ビハール州のアーティストとも協働していることに驚いた。

月のない真夜中には、この世が終わってしまったのではないかというくらいの静寂に包まれ、太陽が地平線に現れる朝には鶏が鳴き、子供たちが外へ駆け出してきてキャッキャと騒ぎ出す。家々からは食事をつくる煙が上がり、女たちがせわしなく動いていた。「あぁ、人間の暮らしがこんなに太陽に依存しているなんて」と驚いたが、そうやって暮らしている人がまだこの惑星にはたくさんいるのだろうし、毎日自然の秩序に逆らわずに生活を営むことが厳しくもあるだろうけど、贅沢なことのようにも思えた。

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暮らしが太陽や雨、自然に基づいているということが民俗神話にも多く描かれている。

 

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そういえば2年前にバンガロールで英語を勉強していた時に、毎朝学校までの通学路で民家の玄関前に華やかなイラストが描かれていたことを思い出した。コーラムと呼ばれて、富や幸福を招くおまじないのようなもので、ヒンドゥー教徒の女性が毎朝行う習慣だ。

今でこそほとんどの人はチョークを使うが、昔はコメの粉や石灰石などで絵を描いていたそう。そう時間も経たないうちに鳥や牛に食べられてしまうのだが、「人間がお前たちより何よりも偉いのだ」とでも思っているようなこの時代に、肩を並べて恵みを分け合う彼女らの生活に気高さと美しさを感じる。また絵が消えることが実は「神の訪れ」を意味するらしい。インドでは決して神は遠い存在ではないのかもしれない。宗教的な建築物は至るところに見られるし、家の中にもガネーシャをはじめとしたレプリカが飾られていたり。

神を厚く信仰しつつも距離をとらないスタンスが、自然と対峙する彼らの豊かな想像力を働かせ、その生活の教訓を物語化(意味づけ)することに繋がっているのか、なんて思ったりしている。

こんなにも美しく愛おしい文化が生活レベルに残るインド。そんなことを考えていたら、もう一度、たまらなくインドに行きたくなってくるのだった。