さぐりさぐり、めぐりめぐり

借り物のコトバが増えてきた。

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異邦人になることの恐れ

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Photo by Andre Benz on Unsplash

金曜22時半、中央線高尾行の中央特快は東京駅を発った。これから始まる休日のため幾分か騒々しい車内。開閉するドア部分に体重を委ねながら丸ノ内・神田辺りのオフィスビルをボーッと眺めている。

 
前後には大小2つのバックパック。よりによって嫌な時間に当たった。少し体の向きを変えようと動いたところ、後ろから一瞬衝動を感じた。40リットルのバックパックが後ろの男のスマートフォンに当たったらしい。それは明らかに攻撃的で、瞬時に相手がどんな心境でいるのかを悟らせた。その衝動は「死ね」を意味した。死にたくなった。

一瞬振り向くと40代半ばくらいのいかにも仕事ができそうで、身だしなみの整った男だった。苛立ちの表情でスマートフォンに向けて視線を落としていた。

「ああ、またここに戻ってきてしまった。」

 

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「岩辺さんは3月から何してたんですか?」

7月半ば。私は恵比寿ガーデンプレイス内にあるシェアオフィスのボックス席に呼び出されていた。年齢は一回り上でキャリア豊富なWebディレクターが入社し、それ以前の社内状況の整理と業務フローの確認をすることになった。

3月からWebメディアの編集職として業務委託という契約ではありながら、実質ほとんど常駐という形で教育系スタートアップ企業のオフィスに出社。並行してライターとしていくつかのWeb媒体での取材・執筆も続けていたが、8〜9割の時間は常駐先に当てていた。

「既存の評価体系に沿った学習・成長ではなく、各々の興味・傾向から出発した学び・追求が世の中に価値をもたらす」という理想に共感し、志と時間を捧げた。しかし、多くのスタートアップがそうあるように、例に漏れずうまくいかない日々だった。

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Photo by Clark Tibbs on Unsplash

一企業として自立するまでにある程度の時間を要することは皆理解していたが、世界観を大衆に訴求するためにあえて、理想と対極の業務に圧倒的な時間と労力を割かなければいけないことがどこか納得できなかった。確かに誰もいないところで真っ当なことを叫んでも、届けたい人はおろか広い展開には極めて時間がかかる。


しかし、大きな市場を取るためにもはや三番煎じくらいありふれたやり方で、Web上にすでにある情報をかき集めて情報を再構成することに、実現したい世界へのプロセスの過程にいる自信がなくなりつつあった。それでも「とりあえずやらないと」と檄が入る日々に心身共に消耗していた。

そうしたモチベーション面の葛藤に加え、もともとのADHDの不注意特性が強く現れ、帰宅時間はみるみる遅くなり、ライターの仕事も停滞した。何よりこれらは組織や上司を攻めたいのではなく、自分の内側の意見を強く主張できず、目の前の闘いを避けてしまう自分への嫌悪から残すことにしている。むしろ、可能な限り歩み寄ってもらったと思っている。

そんな状況にありながら、会社には新メンバーが徐々に加わり、数ヶ月手探りで築いてきたフローや、それにともなって採用したアルバイトのサポートメンバーは瞬時に解体された。またゼロから同じ段階を踏む気力はすでに持ち合わせていなかった。

また、この挑戦には“真っ当な”社会への復帰という想いもあった。大学を卒業後、ろくなキャリアもないまま身を置くキャリアの転換を図ったこともあり、社会的常識や規則正しい生活習慣、汎用性のあるスキルの獲得など、いわゆる会社でなければ得られない知見を得るラストチャンスと捉えていた。25歳ならまだ第二新卒に間に合う。そんな意識をもって参加しただけあって、「ここが続かないなら、もうオフィスワークは無理だ」と、8月頃にはそんなことを考えながら毎日満員電車に揺られていた。

つじつまの合わない生活では当然仕事の効率も上がらず、誰もいない朝3時のオフィスで正気を取り戻す日が続いた。始発に乗って家にシャワーを浴びに帰る頃には、ようやく素面になった酔っ払いたちの横で人のまばらな山手線を待った。この頃には、ガードのないプラットフォームが怖くなって乗り換える駅を渋谷駅から高田馬場駅に変えた。初めて囚われた希死観念が恐ろしくなり、精神科に行くと「ひどい鬱状態」と伝えられた。

9月、それでもありのままの心身状況についてどうにも説明できずにいた。どうも自分には、自分の体感していることを寸分違わず相手に分かってほしいと思うところがある。そんなことは無理なのに。そして私には同時に、目の前の衝動を避けるためになら自分の意見を主張することを控えるところがある。悲しいことに、それは私が憧れるジャーナリストに不可欠の資質だった。

上司から再び呼び出し。

「岩辺さんはどうしたい? 今月も目標終わらなかったけど」

10月、私は会社を離れることにした。

 

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「この飛行機が落ちたらいいのに」

最近は飛行機に乗るたびに必ずそう思うようになってしまった。ロシア上空を西に向かう機体は冷気の影響かよく揺れた。

さまざまな民族の習俗について何がしかの知識を得るのは、われわれの習俗の判断をいっそう健全にするためにも良いことだし、またどこの習俗も見たことのない人たちがやりがちなように、自分たちの流儀に反するものはすべてこっけいで理性にそむいたものと考えたりしないためにも良いことだ。

けれども旅にあまり多くの時間を費やすと、しまいには自分の国で異邦人になってしまう。また、過去の世紀になされたことに興味をもちすぎると、現世紀におこなわれていることについて往々にしてひどく無知なままとなる。
(『方法序説デカルト

旅が多くの気づきや出会いを与えてくれたことには違いない。しかし、いつだって飛行機に乗って遠くへ行くことばかりが旅ではない、と私は当の旅から学んだはずではなかったのか。物語の中で必然と位置づけられる旅は美しい。分かっている。今はそのときではないのに、と。


イスタンブールを経由してキエフに入った。11月だというのに、すでに色づいた木々の葉は総て落ちつつあり、渡航してちょうど2週間目の日曜に街は白く覆われた。経済の落ち込んだ冷たい首都、仕事を探す労働者たちの鼻の曲がるほど強烈な体臭が漂うドミトリールームでひたすら惰眠を貪った。二段ベッドでただただ天井を眺めては過ぎていった一日もあった。

 

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 移動時間が好きだ。それもなるべく長い方が良い。ただぼんやりしていても、とりあえずある街からある街へと向かっているからだ。私自身は乗っかって、目的地に到着することを待っているだけなのに。

寒く、晴れず、憂いの国を選んだのには大きな理由も物語もない。なるべく安くて、生き延びられそうという他に強いて言うとすれば、鬱状態にある自分がトスカの国に行けば、「マイナス×マイナス」で何かが見つかるのではないか、と期待したのだ。


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12月、隣国にあるアウシュビッツ強制収容所を訪れた。『縞模様のパジャマ』『シンドラーのリスト』『LIFE IS BEAUTIFUL』など数々の映画や手塚治虫の『アドルフに告ぐ』など、この場所にまつわることについては、これまでの人生でも幾度か触れてきた。なかでも、ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』は記憶に新しい。収容所の中での日々・経験から人間心理を考察した一冊だ。
 

ひるがえって、生きる意味を見出せず、生きる内実を失い、生きていてもなにもならないと考え、自分が存在することの意味をなくすとともに、がんばり抜く意味も見失った人は痛ましいかぎりだった。

そのような人びとはよりどころを一切失って、あっというまに崩れていった。あらゆる励ましを拒み、慰めを拒絶するとき、彼らが口にするのはきまってこんな言葉だ。「生きていることにもうなんにも期待がもてない」
(『夜と霧』ヴィクトール・フランクル

「死ぬくらいだったら、その前に…」


最近の行動原理はこの考えに基づいている。私の知る限り、人生で最も投げやりな時間を過ごしている。取り返しのつかないところまで来た。
 

わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。(中略)
もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。
(『夜と霧』ヴィクトール・フランクル

人生の側が私に求めているのは何だというのだろうか。私は私をもう一度、物語の中心に返り咲かせることができるだろうか。

おおかたの被収容者の心を悩ませていたのは、収容所を生きしのぐことができるか、という問いだった。生きしのげられないのなら、この苦しみのすべてには意味がない、というわけだ。しかし、わたしの心をさいなんでいたのは、これとは逆の問いだった。

すなわち、わたしたちを取り巻くこのすべての苦しみや死には意味があるのか、という問いだ。もしも無意味だとしたら、収容所を生きしのぐことに意味などない。抜け出せるかどうかに意味がある生など、その意味は偶然の僥倖に左右されるわけで、そんな生はもともと生きるに値しないのだから。
(『夜と霧』ヴィクトール・フランクル

 時間がもしも未来から過去に向けて流れているとしたら。いったい、この苦しみは何への伏線になるのだというのだろうか。それが分かるまで生きられたら、きっとそれからは生きようとして生きなくてもいいような気がする。

▼書籍はこちら

『方法序説』(岩波文庫)デカルト
  『夜と霧』(みすず書房)ヴィクトール・フランクル