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『パリ・ロンドン放浪記』ーー光の側からは見えない貧しさに言葉を充てがう

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キエフの中央駅にほど近く、通りから見ると半地下になった安いアラブ料理の食堂で何時間もチャイを片手に『パリ・ロンドン放浪記』(岩波文庫)を読んでいた。『一九八四年』(ハヤカワepi文庫)『動物農場』(角川文庫)で知られるイギリスの文豪ジョージ・オーウェルが若き日に身を置いた底辺生活のルポルタージュである。

1927年から3年にわたってパリ、ロンドンで送った極貧生活の中で発見される気づきの中には、鮮烈な印象と同時に今日にもなお言えることが散りばめられている。特に終盤に記されている提言は、現代にも効力を放つジャーナリスト・オーウェルの覚醒が見られる。

若き日のジョージ・オーウェル

1903年にイギリス領インドのインド高等文官をしながらアヘン栽培・販売をする父とビルマ生まれの母の間に生まれ、1歳で帰国すると幼少から学生時代をイギリスで過ごす。学業は優秀で、イートン・カレッジで当時の知識人たちとの人脈を築く。その後、19歳でインド警察訓練所に入所し、ビルマで5年間勤務することになる。

しかし、オーウェルはこの5年の間にイギリスの植民地における帝国主義の片棒をかつぐことを嫌悪するようになる。このあたりの葛藤描写は短編『象を射つ』に書かれている。そうした経緯から休暇をとってイギリスに帰国すると二度と植民地現場に戻ることはなかった。

それから、底辺生活者の日々を描こうとパリの貧民窟に1927年に潜った。ここまでが、『パリ・ロンドン放浪記』に至るまでのオーウェルの経緯である。

『パリ・ロンドン放浪記』より

以下に本書の中から印象的な箇所の引用をいくつか挙げたい。

貧乏が人間を規定すること

貧乏につきものの退屈もわかってくる。始終何もすることがなくて、しかもろくに物を食べていないものだから、何にも興味がわかないのだ。半日ベッドでごろごろしていると、ボードレールの詩の「若い骸骨」のような気持ちになってしまう。

食べ物がなくては、起きる気にもならない。一週間でもマーガリンつきのパンで暮らした人間は、もはや人間とは言えず、付属器官がいくつかついた腹にすぎないと、つくづく思う。

 

長いあいだ浮浪者をやっている者のあいだでは、同性愛がふつうだという話だった。

 

貧乏の不幸な点は、単に辛いということより、肉体的精神的に人を堕落させるというところにある。そして、性的飢餓がこの堕落に一役買っていることは疑いない。

女から完全に遮断されてしまった浮浪者は、健常な肉体的精神的能力を喪失したような気持ちに襲われる。自尊心を傷つけるのに、これ以上の屈辱はない。

 

ある夜、深夜になって、わたしの窓のすぐ下で殺人があった。ものすごい叫び声に目をさまして窓際へ行ってみると、男が一人、下の舗道に這いつくばっている。道路の突き当たりを人殺しが三人、飛ぶように逃げていくのが見えた。二、三人で下りていった時には、男は鉛管で頭蓋を割られてすでに死んでいた。ワインのように妙に紫がかった血の色は忘れられない。血の跡は、あくる日の晩わたしが帰ってきたときにもまだ舗道に残っていて、何マイルも離れたところから小学生たちが見物にやってきたという話だった。

しかし、いま考えてみて驚くのは、その殺人があって三分とたたないうちに、自分がベッドに入って眠っていたということだ。その辺の人間はたいていそうだった。われわれは男がもうだめなのを確かめると、すぐに寝てしまったのである。こっちは働いているのだから、殺人事件くらいで眠りを犠牲にしても意味がないのだった。

20世紀前半のパリ・ロンドン

変わり者もいた。パリのスラムは変わり者の巣窟であるーー孤独で狂ったも同然の人生に落ちた結果、ふつうのまともな人間になることをあきらめてしまった連中だ。金が労働から解放してくれるように、貧乏は人間を常識的な行動基準から解放してくれる。

 

金があったら、男はどこへ行きます? むろん売春宿です。

 

パリで肉料理ひとつに、まあ十フラン以上払ったとすれば、まずこういう具合にいじられたと考えてまちがいない。(コックの唾、指、ウェイターのワックス・ポマードをいじりまくった手が何十にもついている)

うんと安いレストランなら、話はちがう。そこではこんな手数はあかけず、手でいじったりはせずに、ただフォークで鍋から皿に移すだけだから。大体において、食べ物には高い金を払えば払うほど、それだけ余分な汗と唾をいっしょに食わされることになる。

 

考える余裕もなく、外界のことなどろくに意識もせずに、ただ労働と睡眠のあいだを往復しているだけなのだ。彼のパリとは、ホテルと、メトロと、二、三のビストロと、ベッドにすぎなくなってしまうのである。

 

皿洗い・浮浪生活での気づき

怠け者では、皿洗いは務まらないのだ。彼らは単に、思考を不可能にしてしまう単純なくりかえしの生活に捕まっただけなのである。皿洗いにすこしでも思考能力があったとしたら、とうの昔に労働組合を結成して、待遇改善を要求するストライキを打っていただろう。

だが暇がないから、彼らは考えることをしない。この生活が彼らを奴隷にしてしまったのだ。

 

失業者の心配は給料が無くなることだと思うのはまちがいで、むしろ、働く癖が骨の髄までしみこんでいる無学な人間には、金よりも仕事の方が大切なのである。教育のある人間は仕事がなくなっても辛抱できる。それが貧乏生活でもいちばん辛いことなのだが。

ところがパディのような男には暇をつぶす手段がないものだから、仕事を奪われたとなると、鎖につながれた犬も同然のみじめなことになってしまうのだ。だから「零落した人間」がこの世でいちばん哀れな存在などと言うのは見当ちがいで、ほんとうに哀れなのは、はじめからどん底にいて、暇つぶしの才覚もないまま貧乏と向かい合わなければならない人間なのである。

 

浮浪者は危険な人間だという、世間に流布している見方にしてもそうである。(中略)

もし危険だったら、それなりの処置がとられるはずなのだから。収容所にしても、一晩に百人くらいの浮浪者をしじゅう泊めているわけだが、その監督に当たる職員は、せいぜい守衛が三人なのである。悪漢が百人集まったとしたら、武器も持たない三人の男くらいで抑えきれるものではない。

ところが、浮浪者たちが収容所の役人におとなしく怒鳴られているのを見たら、彼らが驚くほど従順で、活力のない人間であることは、すぐわかるのだ。


よく覚えている。アスファルトから湧き上がる冷気が橙色の街灯に照らされた寒い夜、料理屋が閉まり、外に出ると通りを行く人はまばらだった。左手を向くと、何度か昼間に見かけた分厚く着込んだ老婆がとぼとぼ歩く後ろ姿が見えた。

駅の方向を目指す老婆が突然その歩みを止めると、その場に力なく、それでいて唐突に倒れ込んだ。20フリブニャ紙幣(80円程度。ウクライナでは温かいパンとコーヒー1杯くらいは買える)を渡そうと近寄る。もう何日もそのままなのであろう。冷たい空気の中に漂う臭いがそう物語っていた。肩あたりを何度か叩くも反応はない。20フリブニャ札をポケットに突っ込んで私は去った。

数十メートル離れて振り向くと、通りがかりのハンチング帽の男が老婆の近くで一瞬しゃがみこんですぐにその場を離れた。

翌朝目を覚ますと、この冬はじめての雪がキエフの街を白く覆っていた。
 

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パリ・ロンドン放浪記』(岩波文庫ジョージ・オーウェル


一九八四年』(ハヤカワepi文庫)ジョージ・オーウェル


動物農場』(角川文庫)ジョージ・オーウェル