さぐりさぐり、めぐりめぐり

借り物のコトバが増えてきた。

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【若者の定義】その「5分」を逃がし続けた先に

2018年の年明け早々、東京メトロ東西線早稲田駅にほど近いシェアハウスに引っ越した。上京して7年目にしてはじめての23区、住みなれた多摩地区からの移動であり、はじめて降りる駅ではあったものの意外なほどの速さで順応している。

前々から人生の大きな節目になるだろうと捉えていた1月6日、25歳の誕生日は呆気なくインフルエンザとの格闘で終わっていった。誕生日であったと同時に、前日1月5日をもって3ヶ月の自動車工場期間工を満了したことによる無職記念日でもあった。


不意になのか、自然の成りゆきからか時間の贅沢を手にして何をしているかと言えば、徒歩3分の早稲田大学であったり、新宿区立中央図書館で日がな本を読んでいる次第だ。

そんな折、手に取った沢木耕太郎の短編集『バーボン・ストリート (新潮文庫)』にはこんな一節。 

二十五歳ですでに青年でなくなる人もいれば、三十五歳を過ぎても中年という呼び方がふさわしくない人もいる。

 
▼引用元

バーボン・ストリート (新潮文庫)

沢木 耕太郎 新潮社 1989-05-29
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 いつまでが「若者」なのか。

安い酒場で人生について語るようなテーマではあるが、これまで信じて疑わなかった「自分は若者」という立場が意外と今、危うくなっている瞬間を感じることがある。
 

画面越しの初日の出

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初日の出や流星群といった非日常感のあるイベントが昔から好きだった。誰に強制されるわけでもなく、自分の中では「マスト」な行事。

自転車を20分漕いで一面の田畑に囲まれたり、風の冷たい冬の透き通った太平洋から昇る日の出を見られた地元・豊橋から、海もなく、それでいて延々と並ぶ住宅に埋まった八王子に引っ越したことで随分とモチベーションは下がったように思う。

それでも時折仲間たちと車を借りて山梨や伊豆まで流星群を見に出かけたり、年越しを過ごしたコンビニ夜勤の後、初日の出を逃すまいと近くの高台まで原付を走らせたりしていた。


2018年は中央線の中で迎えた。3ヶ月住んでいた部屋のあった羽村駅に到着したのが0時40分頃。特に何をする予定もなく、日課になった深夜のファミレスへ。いつものように飲み放題のカフェラテを相棒に朝方まで本を読んでいた。

元旦ということもあり、いつもは静かな店内も初詣を控えた地元の若者たちや親父連中が楽しそうにおしゃべりに興じている。


朝6時に眠気を感じ、430円のドリンクバー代を支払って店を出る。東にまっすぐ伸びた産業道路の果て、雲ひとつない澄み切った空模様からは2018年最初の太陽の姿が確約されていた。


「初日の出か。」


数秒間考えた末、住宅街のアパートを目指して歩き始めた。いつもの道を20分歩き、部屋のドアを開く。6時45分、富士山の上空から眺める初日の出をテレビ越しに見た。

その5分を逃がさない

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間に合った、けど行かなかった。

なにも初日の出に限らずとも、窓から差し込むまばゆい光で目が覚めたある日の朝5時や、日没後の曇りガラス窓から感じる紫がかった空模様。少し前までなら窓を開けて、すぐに布団を出て、そんな日常の中に時々訪れる美しい瞬間を逃してしまうことを諦められなかった。

いつからか、わかっていても布団を出られなくなり、椅子からその腰を上げられないことが増えた。

そんな選択をすることが最近増えた気がする。大切にしているもの、美しい瞬間の目撃者になるために必要なたった5分を怠っていないだろうか。

 

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条件反射でしていたことに、決断が必要になってきているのを感じる。それどころか、無数の些細な選択・決定に消耗している気さえする。もしかしたら、ぼくはもう「若者」を名乗る権利を失ったのだろうか。


「迷い、考え、やらない」


守れない自分との約束が増えるごとに心の皺が増えていく。

劣悪・残酷でも労働者が会社を離れられない理由『自動車絶望工場』

去年の10月から12月にかけての3ヶ月、自動車工場で派遣工として働いていた。
毎週土曜日の編集・ライター養成講座に出席するため、東京で暮らしながらガッツリ貯金をできそうな求人を探していたところ、「寮費無料」「月収31万以上」という文字が目についた。業務内容からガテン系の仕事だということは察していたが、実際に電話で問い合わせてみるまで自動車工場だとはわからなかった。

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“生きる”を手繰り寄せる治療『旅をする木』より

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めまぐるしい日々の中で、身体的にも精神的にも磨耗し、それでも生きていかねばと奮いたたせる日々。気づけば視野は限定され、「身の周りだけが世界なのだ」と自分で納得している。

そんなことに気づいてハッとすることがある。今このときも、かつて旅したあの場所では、あの時間が流れているのだ。目の前に流れる“日常”と別の、もう一つの時間、もう一つの現実がたしかに流れているのだ。



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ナヴィンとプロヴィンは今日もヒマラヤの空を舞っているかもしれないし、ウガンダではチビたちが「いただきます」と言ってジャガイモのスープを頬張っているだろう。

旅をする木』と星野道夫さん

一冊の本を紹介したい。『旅をする木 (文春文庫)』。著者は写真家/探検家の星野道夫さん。大学を卒業後、アラスカ大学で野生動物について学ぶ。その後もアラスカを拠点に18年間主に写真活動、執筆などをしながら暮らし、44歳の時にヒグマに襲われて亡くなった。

旅をする木 (文春文庫)

星野 道夫 文藝春秋 1999-03-01
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 その本の美しい文章を読むたび、何か治療を受けているような気持ちになる。


「そうだよな、本当はそんなふうに生きたっていいんだよな」

 

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作中に登場するアラスカの人々、誰のものでもない森をゆく動物たち、そして選択の自由をもって雄大で美しい人生を冒険した星野さんの息遣い。クマにおびえる夜営のテント、広大な原野から戻ってきたときに見た集合体としての街の明かり、孤独の贅沢。旅をする木

 

「生かされている」ことを理解させてくれる自然

アラスカの自然を旅していると、たとえ出会わなくても、いつもどこかにクマの存在を意識する。今の世の中でそれは何と贅沢なことなのだろう。クマの存在が、人間が忘れている生物としての緊張感を呼び起こしてくれるからだ。もしこの土地からクマが消え、野営の夜、何も怖れずに眠ることができたなら、それは何とつまらぬ自然なのだろう。

 24時間人工灯の絶えない東京の夜、徒歩圏内にあるコンビニでは加工食品から肉に野菜までなんでも手に入る。消費一辺倒な暮らし、離れすぎた生産と消費の距離、間にある仲介・プロセスの多さ、ブラックボックス。ぼくたちの暮らしは何のうえに成り立っているのか、わからなくなっていた。見えなくなっていた。

 

人はその土地に生きる他者の生命を奪い、その血を自分の中にとり入れることで、より深く大地と連なることができる。そしてその行為をやめたとき、人の心はその自然から本質的には離れてゆくのかもしれない。

 手の届く範囲で物事が完結したとき、ぼくははっきり理解した。さっき仕留め、絞めたあの鹿をバラし、さっきまで生きていたことを疑うくらい見事に肉になったその生命が今食卓に並んでいる。自分の足で立つぼくたちは「生きている」とずっと教わってきた。しかし、それは間違っていた。ぼくたちは無数の生命や自然のもたらす恵みを授かり「生かされている」のだ。

 

抗うことなく自分に従う。人生は一本の川のよう

誰もが何かを成し遂げようとする人生を生きるのに対し、

ビルはただ在るがままの人生を生きてきた。

それは自分の生まれもった川の流れの中で生きてゆくということなのだろうか。

ビルはいつかこんなふうにも言っていたからだ。

「誰だってはじめはそうやって生きてゆくんだと思う。ただみんな、

驚くほど早い年齢でその流れを捨て、岸にたどり着こうとしてしまう」 

車窓を眺めていても、そこに映っているのは景色ではない。不安な未来と過去が限定する可能性の狭まりだ。いつも誰かに見られている、気がする。

 

ぼくはやはり考えてもしまうのだ。残された人生の時間を思った時、それは一体何になるのだろうかと。(中略)

世界が明日終わりになろうとも、私は今日リンゴの木を植える‥ビルの存在は、人生を肯定してゆこうという意味をいつもぼくに問いかけてくる。

 

自由が溢れる。一人であることの贅沢

町から離れた場末の港には人影もまばらで、夕暮れが迫っていた。

知り合いも、今夜泊まる場所もなく、何ひとつ予定をたてなかったぼくは、

これから北へ行こうと南へ行こうと、サイコロを振るように今決めればよかった。

今夜どこにも帰る必要がない、そして誰もぼくの居場所を知らない

それは子ども心にどれほど新鮮な体験だったろう。

不安などかけらもなく、ぼくは叫びだしたいような自由に胸がつまりそうだった。

天井から吊るされた大きなファンが回転している。身体をくすぐるなま暖かい風を浴びたら考える。「今日は何しようか。どこへ行こうか。」この街に自分を知っている人は誰もいなくて、今日何をするかも明日どこへ行くかもすべて自分で決められる。全部自分で選択する贅沢よ。

 

一人だったことは、危険と背中合わせのスリルと、たくさんの人々との出会いを与え続けてくれた。その日その日の決断が、まるで台本のない物語を生きるように新しい出来事を展開させた。(中略)

バスを一台乗り遅れることで、全く違う体験が待っているということ。人生とは、人の出会いとはつきつめればそういうことなのだろうが、旅はその姿をはっきりと見せてくれた。

「旅」という名を借りた人生。荷物が軽くなるたびに見えるものは増え、人と歩くことで痛みを忘れられ、誰かとたどり着くことで「一人では来られなかった」と感謝する。予定通りでは出会えなかったすべての人や場所がそのままぼくの物語になる。

 

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誰と話していたわけでもないのに、たくさん話した後みたい。アラスカにもいつの日か。

 

旅について

phil-portal.com

【パラレル親方】その船に飛び乗る準備はできている

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2017年が終わるまでに早くも10日をきっている。イルミネーションとクリスマスソングに浮かれた街は例年に倣って賑やかだ。来たる2018年1月6日、ぼくは25歳を迎える。そして同時に肩書きが無くなる。

9月に退職してから業務委託で請け負ってきた前職WEBメディアの編集職を年内で終了、さらに1月5日いっぱいで現在の自動車工場期間工の契約期間が満了するため、正真正銘の“無職”予定だ。

とはいえ、今後についてのアイデアも勝算もある。今回はぼくの“大切な”25歳を賭けてみようと思っているパラレル親方という企画と個人的な考察について書いていきたい。


▼パラレル親方の概要についてはこちら 

会社は自分を育ててはくれない

ミヒャエル・エンデの『モモ』を読んで確信していることがある。命とは時間のことだ、と。

2016年4月にライターインターンとして参加したスタートアップのWEBメディア。多くのベンチャー企業がそうであるように出入りが激しく、入社後3ヶ月で突然書き手は自分一人となり、自然に編集長の役割を担うことになった。

書き手としてのステージが参加動機だったが、業務の重心は収益化・外部ライターのマネジメントといったビジネス領域へと移った。一つひとつのコンテンツに時間と力を注ぐというよりは、いかにPVを伸ばして媒体価値を高め、収益に繋げられるかというコマーシャルメディアの様相。

そこからは思いもよらない学びも多くあったが、「このままでいいのか」という不安が消えることはなかった。そんな動機を社長に話し、参加の形を正社員から業務委託に変更した。週末は会社のお金で編集・ライター養成講座にまで通わせてもらって、改めて感謝してもしきれない。

毎週代わる代わる登壇される出版・広告・新聞・WEB業界の著名な講師のお話はとても面白く、大切な学びとなった。しかし、100人を超える受講生を相手にする授業形式ではフィードバックが限られ、一人前のライターとして船出できるかと言われれば難しい。 いろんなイベントに参加したり、人のお話も聞いたが、総じて得られる回答は決まっていた。「会社も人を育ててはくれないよ」と。迎える25歳、「若い」と言える時間も限られてきた今、次の一手を真剣に悩んでいた。

 

最短で自分を引き上げる「弟子」という手段

そんな時、なんとなく手に取った山口揚平さんの『そろそろ会社辞めようかなと思っている人に、一人でも食べていける知識をシェアしようじゃないか』にあった本文が目から鱗だったので引用したい。

一番大事なのはどこに就職するかではなく、どんな「師匠」を持つかです。まず誰に付いてゆくのか、能力的にも人格的にも心から尊敬できる人を探し出し、なんとか食らいついてゆく。本を読み、メールを書き、セミナーでも講演でもいいですがとにかく会いに行く。そしてゆっくりと距離を縮めてゆく。丁稚奉公をしながら学ぶという昔ながらの方法がもっとも効率良く仕事のスキルを得られる方法なのです。

確かに、創造的な仕事をする人には弟子の時代を過ごしたケースが多い。

 

人が努力で変えられるものは限られている。人間は環境に依存している

ぼくはこれまで「努力」の可能性をひとえに信じてきた。しかし、最近では「人が自力で変えられるものは案外少ないのでは」と考えている。

例えばぼくの大好きなバスケットボールのこと。中学・高校カテゴリのバスケットボール界で優勝旗を独占している県がある。それは「福岡県」だ。さらに一つの学校が決まって強いのではなく、その競争力が恐ろしい。地区大会の決勝がそのまま九州大会の決勝戦で、全国大会でも両校がベスト4に入る、などが毎年のように実現されている。また、他県の強豪校に進学する例も多く、裾野を広げて考えると、もはやバスケットボール界にとって福岡県は「マフィア」なのだ。
現在日本代表として活躍している選手にも福岡県出身の選手が一際多い。

▼福岡県出身のプロバスケットボール選手
比江島慎選手(シーホース三河
・ベンドラメ礼生選手(サンロッカーズ渋谷
・金丸晃輔選手(シーホース三河
(他多数)

これには中学などアンダーカテゴリーに優れた指導者や競争環境が用意されていることが一番の原因なように思う。「当たり前のレベル」が他県と一線を画しているのだ。

あらゆるものごとにもこの構図は当てはまると思っていて、結局人が努力でできることがあるとすれば「十分な考察のもと、自分を引き上げてくれる環境を選び、たどり着けるか」に限られるのではないだろうか。場所や環境が人に与える影響は計り知れない。

パラレル親方応募のきっかけ

ここまで記述してきた思考から、最短で書き手として独り立ちするには弟子になるしかない、そう確信したちょうどそのときに以下の記事が目に入った。

兼ねてよりTwitterで注目していた望月優大さんがスマートニュース株式会社を独立したという内容の記事を12月1日に公表した。望月さんがBAMPで連載している「旅する啓蒙」や、Twitterで紹介される書籍「#望月書房」をインプット源の一つとしていたぼくにとっては願ってもない機会。「動くなら今だ」そう思ってメールを作り始めた。

すると、翌日にはなんと望月さんが親方候補としてパラレル親方に参加するというニュースが入った。フックアップについて望月さんと対談されていた徳谷柿次郎さんが企画しているというのだから間違いない。本気で自分のためのイベントなんじゃないか、そう思いながら急いで、しかし真剣に応募フォームを埋めた。

WEBメディア業界の課題とパラレル親方

TwitterをはじめとしたSNSで回ってくるメディアの記事を読めば、少数の人気ライターが媒体を超えてあらゆるテーマに奔走している様子がわかる。パラレル親方の親方衆はまさに引っ張りだこな存在だ。

上が詰まっていてチャンスが回ってこないという面もあるが、稀有な例を除いて若手にそれを凌ぐ力がないということも事実。多くのWEBメディアが実力者をハンティングはするが、育てることはしない。これによって、仕事はますます現在の人気ライターに集中し、彼らの時代の終わりとともに業界自体が力を失う。つまり、ライターや編集者を育てるということが、当事者である若手ライター・編集者に取っても、大御所にとっても、さらにはWEBメディア業界の生存戦略でもあるのだ。

一対一の師弟という関係ではお互いの負担と期待のバランスをとることは難しいが、弟子をシェアして仕事を振ることができれば、師匠の負担も軽減され、弟子側も書くことで食っていける。まさに願ってもない企画である。

12月19日 パラレル親方キックオフイベントより

イベント会場には80名の応募者から選ばれた約40名の弟子候補が集まった。イベントの内容自体は他の参加者のレポートを参照いただきたい。

【イベント記事】「パラレル親方」の話と、「文化の裾野を広げる」ということ。zonozonoblog.wordpress.com

気になる親方〜イベントに参加してみて〜

▼望月優大さん
パラレル親方に応募しようと思ったきっかけ。上述したように良質なインプット源であると同時に、「スタディクーポン・イニシアティブ」など社会課題をクリエイティブに解決するため精力的に動く姿に大きな可能性を感じている。もしもご一緒できるのであれば、考えるための時間を惜しみなく差し出す予定。

▼モリジュンヤさん
以前からいくつかのメディアで気になっていた存在。実際にお話を伺ってみて、本質を追求する問答にソクラテスのような印象を受けた。思考することを惜しまず、書くことで稼いでいくというやり方がスッと受け入れられた。弟子の岡田さんとのお話も刺激的で、オススメいただいたヨリス・ライエンダイクの『なぜ僕たちは金融街の人びとを嫌うのか?』に読みかかっている。


▼長谷川リョーさん
弟子の小原さんとのやりとりにもっとも親方気質を感じた。企業のインナーコミュニケーションなど、編集・ライティングからの発展、マネタイズのアイデアが豊富で、「ライター・編集者として食って行く」というテーマに対してもっとも現実的な手札を持っている印象を受けて興味を持った。

▼徳谷柿次郎さん
ご自身の経験を「パラレル親方」というクリエイティブな仕組みに落とし込む大胆さに好感を持った。人の移動を促進したい、人は場所や環境に依存するということをテーマにする自分にとって、「移動」を絶やさない徳谷さんの姿勢には全面的に賛同できる。

岩辺智博にできること、そして何を賭けられるかについて

最後に今の自分の能力、betできるものを提示しておきたい。

興味/関心領域

人の移動/宗教/民俗/歴史(地域問わず)/貧困/犯罪/スピリチュアル/映画/本/行動心理学/発達障害/マーケティング/ブランディング

テーマ:人の移動を促進すること 

ポートフォリオ

▼メディア

2016年6月より編集長として、サイト内の全ての記事を編集・確認。中でも特に力を入れた記事をセレクト。

▼人物インタビュー

 

▼企画記事


▼考察記事


▼レポート記事


▼旧個人ブログ(紀行文中心)

何を賭けられるか

・25歳という時間
 →書くこと・読むこと・体験すること・知ることは全て文字化できます。これは仕事であり、趣味であり、人生そのものなので、時間をそのまま差し出すことに抵抗はありません。

・親方のオフィスがある街への引越し
 →1月6日からの住処が未定なので、何処へでも。

・数ヶ月都内で暮らせる資金的余裕
 →「フルで面倒は見られない…」「最初から食わせられるほど仕事を振れない」といった懸念もあるかと思いますが、数ヶ月都内で暮らしていけるだけの貯金はしてきたので案件ごとのお仕事からでも受けたいと考えています。

親方の皆様へ

港でその船を待っています。飛び乗る準備はすでにできていますので。

連絡先:tomohiroiwanabe0106[at]gmail.com

【昨日みたいな今日】24歳の不安と憂鬱を動画にした

生まれてはじめて【動画】を自作した。
細かく分けて言えば、構成・撮影・編集(主演)という工程を一通り。

昨年あたりから、タブーに切り込むカナダ発のWEBメディアVICEに魅了され、動画という表現方法の訴求力に興味は持っている。言葉や写真という手段に加えて、動画もちょっとかじってみようと毎日ビデオジャーナリズムラボに参加している。

月に一度の講座では毎回課題が設定され、iMovieの操作方法もろくにわからないまま取り掛かってみたらこれが意外と面白い。ロング(引き)とアップ(寄せ)を交互に組み込むなど基本的な技術はもちろん、動的なカットと静的なシーンのバランス、一つ一つの動画の区切り方・組み合わせ方、言葉の載せ方、音楽の入れ方などの感覚的な気持ち良さを追求する作業に気づけばのめり込んでいた。

昔から時折、ミュージシャンの曲のPVを取り憑かれたように見てしまうことがある。動画制作はそんな中毒性の裏側を探るようで面白いし、技術以上にこれまで観てきたPVからいくつものアイデアやパターンを引用できたことが制作において大きなアドバンテージになったと振り返っている。


▼今回の課題
「多様性」「幸せ」「不安」のいずれかをテーマにつくった詩をベースに映像化。ポイントは多様な画角・光の効果・ストーリー性を意識。その動画にフリー素材の音楽を使用。

 

「昨日みたいな今日」24歳の不安と憂鬱を映像にする

【作中詞】
昨日みたいな今日 今日みたいな明日
昨日みたいな今日 今日みたいな明日
昨日みたいな今日 今日みたいな明日
昨日みたいな今日 今日みたいな明日
もうずっと 退屈な日曜の午後みたい
明日は 今日なのかもしれない
昨日みたいな今日 今日みたいな明日

曇天、孤独、変わらない日々をテーマに「不安」を表現できたのではないかと思っている。観ている人に解釈させる前にシーンを切り替え、ザラッとした余韻を残す。同じシーンを散在させることで日々のループ感を表現した。

 

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しばらく洗っていなそうな仮住まいの煎餅布団と乾かしていない汚い長髪、深夜のカップ麺はまったく演技じゃないけど…。


P.S. 鬱のときは五木寛之にかぎる

 社会のあらゆる分野で、躁から鬱への転換が起こる暗澹とした時代に、自己啓発の本がよく読まれる背景には、自分の生き方をちょっと変えることで世界が変わるかもしれない、という希望を誰もが失いたくないということがあるのでしょう。

下降していく社会と、個人的には上昇していこうとする人たちの摩擦、どこにも出口の見えない閉塞した社会、うだつのあがらない自分自身へのやり場のない怒り、なんとか自己を啓発してもっと幸せをつかむのだという姿勢は否定しませんし、抑圧されたまま発酵してガスが出ているような鬱の気分が、多くの人を心の病に向かわせているのではないでしょうか。

私は若い人たちに向かって、もっと元気を出せとか、夢をもとうなどというつもりはありません。ただ、世の中とはままならないものだということは、しっかりと受けとめなければならないと思います。

▼こちらの書籍より引用

人間の覚悟 (新潮新書)

五木 寛之 新潮社 2008-11-01
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移動時間の豊穣。宮本常一が父から授かった手紙と共に

移動時間が好きだ。
長距離バスや列車に乗って、車窓から知らない街を、田畑を、川を眺めているのがいい。

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北東北の雪原
雪原の中を一直線に北へ向かう各駅停車の東北本線では、乗っては降りていく乗客のおしゃべりに耳を傾けるのが楽しい。方言で今日の出来事を話す高校生たちの素朴さがいい。黒磯を過ぎたあたりから一気に雪深くなる。数十キロ先の異世界。

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遠野の朝日
花巻と釜石を結ぶ釜石線の前身・岩手軽便鉄道宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のモデルなのだとか。コトッコトッ。雪原を進む単車両が耳あたりの良い音をこだまさせてゆく。全ての駅の看板には、賢治が掲げた理想の全人類共通言語であるエスペラント語の駅名も記されている。

 

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エチオピア北部の車窓
ゴンダールからバハルダールを目指すエチオピアのローカルバス。国土の大半が標高2000メートル以上に位置するこの国では、ひんやりとした朝夕に人々が大きな布をまとって歩く。木の棒はヤギや牛など家畜の進行方向を軌道修正するためにある。

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エチオピア北部の牧草地
夕日に照らされた緑色の草を喰む色とりどりの牛たち。ボディムルシ族の人々は茶色の中に無数の色の名前をつけて呼んでいるのだそう。

移動時間は豊穣のとき。目的地に到着することがどこか心寂しく思えることがある。決して短くはない距離をここまで運んできてくれた列車が、すでに次の駅へ向かうため押しボタン式の扉を閉め、進行方向にノロノロと動き出している。「到着してしまったじゃないか」と。

 
忘れられた日本人 (岩波文庫)で知られる20世紀の民俗学者宮本常一。貧農家庭に生まれた宮本だが、大阪にある逓信講習所入校のため、17歳で故郷の周防大島を離れることになる。その際に父から授かった手紙がどうしようもなく素晴らしいので残しておきたい。
一、 汽車へ乗ったら窓から外をよく見よ、田や畑に何が植えられているか、育ちがよいかわるいか、村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か草葺きか、そういうこともよく見ることだ。駅へついたら人の乗りおりに注意せよ、そしてどういう服装をしているかに気をつけよ。また、駅の荷置場にどういう荷がおかれているかをよく見よ。そういうことでその土地が富んでいるか貧しいか、よく働くところかそうでないところかよくわかる。

二、 村でも町でも新しくたずねていったところはかならず高いところへ上ってみよ、そして方向を知り、目立つものを見よ。峠の上で村を見おろすようなことがあったら、お宮の森やお寺や目につくものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見、周囲の山々を見ておけ、そして山の上で目をひいたものがあったら、そこへかならずいって見ることだ。高いところでよく見ておいたら道にまようようなことはほとんどない。

三、 金があったら、その土地の名物や料理はたべておくのがよい。その土地の暮らしの高さがわかるものだ。

四、 時間のゆとりがあったら、できるだけ歩いてみることだ。いろいろのことを教えられる。

五、 金というものはもうけるのはそんなにむずかしくない。しかし使うのがむずかしい。それだけは忘れぬように。

六、 私はおまえを思うように勉強させてやることができない。だからおまえには何も注文しない、すきなようにやってくれ。しかし身体は大切にせよ。三十歳まではおまえを勘当したつもりでいる。しかし三十すぎたら親のあることを思い出せ。

七、 ただし病気になったり、自分で解決のつかないようなことがあったら、郷里へ戻ってこい、親はいつでも待っている。

八、 これからさきは子が親に孝行する時代ではない。親が子に孝行する時代だ。そうしないと世の中はよくならない。

九、 自分でよいと思ったことはやってみよ、それで失敗したからといって、親は責めはしない。

十、 人の見のこしたものを見るようにせよ。その中にいつも大切なものがあるはずだ。あせることはない。自分の選んだ道をしっかり歩いていくことだ。

▼書籍はこちら

忘れられた日本人 (岩波文庫)

宮本 常一 岩波書店 1984-05-16
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テレビの前のみなさん、ラジオを聴いてるあなた

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ここ数年めっきりテレビを見なくなった。ぼくの周りにはテレビを見なかったり、そもそも一人暮らしの部屋に置いていないという人も多い。時折サッカー日本代表の試合とかライブ性のある番組は観たくなることがあるけれど、狙って何を見たいというのはない。たまたまテレビをつけていたら、北海道の漁師のドキュメンタリーが始まって見入ってしまったとか、偶然得した気分になることもあるから「テレビが面白くない」という一辺倒な否定はできないだろう。

それでもやっぱりテレビには「自分宛て」の情報は限られている。

ではテレビを見なくなった分、何をするようになったのか。単純に慌ただしいというのもあるが、本を読んだりインターネットにアクセスして情報や知識を得たりしている。本やWEBメディアで得られる情報というのは、ある程度、意図的に選択しているというだけあって圧倒的にテレビよりもジャストミートすることが多い。これは自分のために書かれているんじゃないかと思えるコンテンツもたくさんある。同時にそうやって摂取する情報は偏ってしまってはいないか、という心配もあるのだが…。

これはどっちがいいとかの好みの話じゃなくて、それぞれの性質の問題である。今回はそんな媒体特性についてのお話。

「ラジオの前のみなさん、こんばんは」

宣伝会議主催のある日の講義、博報堂ケトルCEOの嶋浩一郎さんがお話されていたことがとても興味深かった。

2009年にフジテレビとの専属契約満了後、フリーアナウンサーとなって他局へ出演する過程でラジオにも出演することになった滝川クリステル(敬称略)のお話。

なんでも、第一声でラジオリスナーをがっかりさせてしまったのだそう。以下がそのときの冒頭挨拶。

「ラジオの前のみなさん、こんばんは」

至って普通な響きに聞こえるが、実はこの“みなさん”という部分がリスナーからの「滝川クリステルはやっぱりテレビの人。わかってないな」という声の理由だったのだとか。ラジオと言えば、車の運転中に聞いていたり、一人夜の部屋で流していたり、多くの場合“一人で”それを聞いている。

リスナーとしては、それを全国で自分以外の人が聞いていることがわかっていても、自分に向けて届いているものであってほしいという想いがどこかにあるのだろう。「ラジオの前のあなた」として楽しみに聞いている(多くは無意識に)。MCが音楽を「お送りする」という表現などはそんなニュアンスを感じる。

天才ラジオパーソナリティ中島みゆき

上記の例とは逆に、ラジオの文脈を天才的に理解しているパーソナリティがいるという。それが国民的シンガーソングライターの中島みゆき(敬称略)だ。

実際に中島みゆきがパーソナリティを務める番組を聞いたことはないが、1970年代から2010年代の今日までオールナイトニッポンなど多くの番組に出演しているところを見る限り、多くのリスナーの心を掴んでいたのだろう。「あなた」とか「あんた」と呼びかけられながら、まるでラジオ越しにそこで話しかけられているような体験にリスナーは中毒になってしまったのかもしれないな、とか想像できる。


彼女の名曲『ファイト!』が番組に寄せられた手紙をきっかけに生まれたという話は有名だ。中卒の17歳の少女が理不尽な世の中に屈折する寸前、助けを求めるかのように中島みゆきに向けて書いた手紙だ。このエピソード自体にラジオパーソナリティとしてリスナーの心に肉薄していた様が伺える。

ラジオの前では「あなた」と呼ばれたい。呼んでほしいのだ。

 

マスとWEBのコミュニケーションも

ラジオパーソナリティとして二人の例を引き合いに出して紹介してきたが、テレビや新聞をはじめとしたマスコミと、驚異的なスピードで浸透したWEB、SNSの対比はテレビとラジオの関係性をもって説明できる、と嶋さんは言う。

確かにWEBでコンテンツをつくるときには、想定読者のターゲティングとその読者にどう寄り添えるかを考えることがもっとも重要な工程になる。誰もが表現者になれるだけに、ジャンクな情報も溢れてきていることは確か。それでも声を上げ続けること、ぼくたちが内包する課題について、自覚することなく悶々とメッセージを待っている人たちがたくさんいる。もしその課題を言語化できるのであれば、そこには発信する使命が宿る。そうやってしかるべき読者に届いたメッセージは恐ろしいほどのシンクロを引き起こすのだ。

誰もが「自分宛て」を探している。

 

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ということでAmazonで購入した中島みゆき全歌集を読んで、聴いて勉強することにしよう。


最近『命の別名』ばかり聴いている。

 
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中島みゆき全歌集1987-2003 (朝日文庫)

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