【読書の意味】本を読むことは「自分を解明する」工程である
「暇」とか「退屈」と思える時間が日々の中から姿を消したのはここ数年の話。
時間があれば本を読みたい。今はそうやって過ごしている。幸い仕事のない今は読み放題という贅沢を満喫している。
何冊といったカウントはしていないが、2017年は80~100冊くらい読めたのではないかと思っている。
誰しも少しずつ「人間失格」なんだと思う。『人間失格』より
自分の幸福の観念と、世のすべての人たちの幸福の観念とが、まるで食いちがっているような不安、自分はその不安のために夜々、転輾し、呻吟し、発狂しかけた事さえあります。
いわゆる「普通」と言われているものから大きく自分が外れていることを感じることは誰しもあるはず。
続きを読む『共産党宣言』は雇用され、働くすべての人への伝言
先日こんな記事を書いた。
当時ほどでないにせよ、自動車工場における労働には創造性は求められず、したがって働く喜びというものからは程遠い。かろうじて出社し、機能し続けてもらうだけの報酬をガソリンレベルで毎月補充し、愚痴を吐く口だけ元気な労働者の足を今日も工場に向かわせる。
続きを読む【若者の定義】その「5分」を逃がし続けた先に
2018年の年明け早々、東京メトロ東西線早稲田駅にほど近いシェアハウスに引っ越した。上京して7年目にしてはじめての23区、住みなれた多摩地区からの移動であり、はじめて降りる駅ではあったものの意外なほどの速さで順応している。
前々から人生の大きな節目になるだろうと捉えていた1月6日、25歳の誕生日は呆気なくインフルエンザとの格闘で終わっていった。誕生日であったと同時に、前日1月5日をもって3ヶ月の自動車工場期間工を満了したことによる無職記念日でもあった。
不意になのか、自然の成りゆきからか時間の贅沢を手にして何をしているかと言えば、徒歩3分の早稲田大学であったり、新宿区立中央図書館で日がな本を読んでいる次第だ。
そんな折、手に取った沢木耕太郎の短編集『バーボン・ストリート (新潮文庫)』にはこんな一節。
二十五歳ですでに青年でなくなる人もいれば、三十五歳を過ぎても中年という呼び方がふさわしくない人もいる。
▼引用元
バーボン・ストリート (新潮文庫) 沢木 耕太郎 新潮社 1989-05-29 売り上げランキング : 130139
|
いつまでが「若者」なのか。
安い酒場で人生について語るようなテーマではあるが、これまで信じて疑わなかった「自分は若者」という立場が意外と今、危うくなっている瞬間を感じることがある。
画面越しの初日の出
初日の出や流星群といった非日常感のあるイベントが昔から好きだった。誰に強制されるわけでもなく、自分の中では「マスト」な行事。
自転車を20分漕いで一面の田畑に囲まれたり、風の冷たい冬の透き通った太平洋から昇る日の出を見られた地元・豊橋から、海もなく、それでいて延々と並ぶ住宅に埋まった八王子に引っ越したことで随分とモチベーションは下がったように思う。
それでも時折仲間たちと車を借りて山梨や伊豆まで流星群を見に出かけたり、年越しを過ごしたコンビニ夜勤の後、初日の出を逃すまいと近くの高台まで原付を走らせたりしていた。
2018年は中央線の中で迎えた。3ヶ月住んでいた部屋のあった羽村駅に到着したのが0時40分頃。特に何をする予定もなく、日課になった深夜のファミレスへ。いつものように飲み放題のカフェラテを相棒に朝方まで本を読んでいた。
元旦ということもあり、いつもは静かな店内も初詣を控えた地元の若者たちや親父連中が楽しそうにおしゃべりに興じている。
朝6時に眠気を感じ、430円のドリンクバー代を支払って店を出る。東にまっすぐ伸びた産業道路の果て、雲ひとつない澄み切った空模様からは2018年最初の太陽の姿が確約されていた。
「初日の出か。」
数秒間考えた末、住宅街のアパートを目指して歩き始めた。いつもの道を20分歩き、部屋のドアを開く。6時45分、富士山の上空から眺める初日の出をテレビ越しに見た。
その5分を逃がさない
間に合った、けど行かなかった。
なにも初日の出に限らずとも、窓から差し込むまばゆい光で目が覚めたある日の朝5時や、日没後の曇りガラス窓から感じる紫がかった空模様。少し前までなら窓を開けて、すぐに布団を出て、そんな日常の中に時々訪れる美しい瞬間を逃してしまうことを諦められなかった。
いつからか、わかっていても布団を出られなくなり、椅子からその腰を上げられないことが増えた。
そんな選択をすることが最近増えた気がする。大切にしているもの、美しい瞬間の目撃者になるために必要なたった5分を怠っていないだろうか。
条件反射でしていたことに、決断が必要になってきているのを感じる。それどころか、無数の些細な選択・決定に消耗している気さえする。もしかしたら、ぼくはもう「若者」を名乗る権利を失ったのだろうか。
「迷い、考え、やらない」
守れない自分との約束が増えるごとに心の皺が増えていく。
“生きる”を手繰り寄せる治療『旅をする木』より
めまぐるしい日々の中で、身体的にも精神的にも磨耗し、それでも生きていかねばと奮いたたせる日々。気づけば視野は限定され、「身の周りだけが世界なのだ」と自分で納得している。
そんなことに気づいてハッとすることがある。今このときも、かつて旅したあの場所では、あの時間が流れているのだ。目の前に流れる“日常”と別の、もう一つの時間、もう一つの現実がたしかに流れているのだ。
ナヴィンとプロヴィンは今日もヒマラヤの空を舞っているかもしれないし、ウガンダではチビたちが「いただきます」と言ってジャガイモのスープを頬張っているだろう。
『旅をする木』と星野道夫さん
一冊の本を紹介したい。『旅をする木 (文春文庫)』。著者は写真家/探検家の星野道夫さん。大学を卒業後、アラスカ大学で野生動物について学ぶ。その後もアラスカを拠点に18年間主に写真活動、執筆などをしながら暮らし、44歳の時にヒグマに襲われて亡くなった。
旅をする木 (文春文庫) 星野 道夫 文藝春秋 1999-03-01 売り上げランキング : 1227
|
その本の美しい文章を読むたび、何か治療を受けているような気持ちになる。
「そうだよな、本当はそんなふうに生きたっていいんだよな」
作中に登場するアラスカの人々、誰のものでもない森をゆく動物たち、そして選択の自由をもって雄大で美しい人生を冒険した星野さんの息遣い。クマにおびえる夜営のテント、広大な原野から戻ってきたときに見た集合体としての街の明かり、孤独の贅沢。旅をする木。
「生かされている」ことを理解させてくれる自然
アラスカの自然を旅していると、たとえ出会わなくても、いつもどこかにクマの存在を意識する。今の世の中でそれは何と贅沢なことなのだろう。クマの存在が、人間が忘れている生物としての緊張感を呼び起こしてくれるからだ。もしこの土地からクマが消え、野営の夜、何も怖れずに眠ることができたなら、それは何とつまらぬ自然なのだろう。
24時間人工灯の絶えない東京の夜、徒歩圏内にあるコンビニでは加工食品から肉に野菜までなんでも手に入る。消費一辺倒な暮らし、離れすぎた生産と消費の距離、間にある仲介・プロセスの多さ、ブラックボックス。ぼくたちの暮らしは何のうえに成り立っているのか、わからなくなっていた。見えなくなっていた。
人はその土地に生きる他者の生命を奪い、その血を自分の中にとり入れることで、より深く大地と連なることができる。そしてその行為をやめたとき、人の心はその自然から本質的には離れてゆくのかもしれない。
手の届く範囲で物事が完結したとき、ぼくははっきり理解した。さっき仕留め、絞めたあの鹿をバラし、さっきまで生きていたことを疑うくらい見事に肉になったその生命が今食卓に並んでいる。自分の足で立つぼくたちは「生きている」とずっと教わってきた。しかし、それは間違っていた。ぼくたちは無数の生命や自然のもたらす恵みを授かり「生かされている」のだ。
抗うことなく自分に従う。人生は一本の川のよう
誰もが何かを成し遂げようとする人生を生きるのに対し、
ビルはただ在るがままの人生を生きてきた。
それは自分の生まれもった川の流れの中で生きてゆくということなのだろうか。
ビルはいつかこんなふうにも言っていたからだ。
「誰だってはじめはそうやって生きてゆくんだと思う。ただみんな、
驚くほど早い年齢でその流れを捨て、岸にたどり着こうとしてしまう」
車窓を眺めていても、そこに映っているのは景色ではない。不安な未来と過去が限定する可能性の狭まりだ。いつも誰かに見られている、気がする。
ぼくはやはり考えてもしまうのだ。残された人生の時間を思った時、それは一体何になるのだろうかと。(中略)
世界が明日終わりになろうとも、私は今日リンゴの木を植える‥ビルの存在は、人生を肯定してゆこうという意味をいつもぼくに問いかけてくる。
自由が溢れる。一人であることの贅沢
町から離れた場末の港には人影もまばらで、夕暮れが迫っていた。
知り合いも、今夜泊まる場所もなく、何ひとつ予定をたてなかったぼくは、
これから北へ行こうと南へ行こうと、サイコロを振るように今決めればよかった。
今夜どこにも帰る必要がない、そして誰もぼくの居場所を知らない…
それは子ども心にどれほど新鮮な体験だったろう。
不安などかけらもなく、ぼくは叫びだしたいような自由に胸がつまりそうだった。
天井から吊るされた大きなファンが回転している。身体をくすぐるなま暖かい風を浴びたら考える。「今日は何しようか。どこへ行こうか。」この街に自分を知っている人は誰もいなくて、今日何をするかも明日どこへ行くかもすべて自分で決められる。全部自分で選択する贅沢よ。
一人だったことは、危険と背中合わせのスリルと、たくさんの人々との出会いを与え続けてくれた。その日その日の決断が、まるで台本のない物語を生きるように新しい出来事を展開させた。(中略)
バスを一台乗り遅れることで、全く違う体験が待っているということ。人生とは、人の出会いとはつきつめればそういうことなのだろうが、旅はその姿をはっきりと見せてくれた。
「旅」という名を借りた人生。荷物が軽くなるたびに見えるものは増え、人と歩くことで痛みを忘れられ、誰かとたどり着くことで「一人では来られなかった」と感謝する。予定通りでは出会えなかったすべての人や場所がそのままぼくの物語になる。
誰と話していたわけでもないのに、たくさん話した後みたい。アラスカにもいつの日か。
▼旅について