さぐりさぐり、めぐりめぐり

借り物のコトバが増えてきた。

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『言葉の流星群』とイーハトーヴォの旅

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「ケンジさんのお家の見学ですか?」

突き抜ける青空で雪原がまぶしい201815日の北上平野。東北本線花巻空港駅で降りて、東へまっすぐ歩いていく。南北へまっすぐ伸びた国道4号線を渡ると低いフェンス越し、わずかにそれが滑走路だと確認できる。そのうち真っ赤な機体が頭上を通って着陸する。15分も歩いただろうか、滑走路の隣にあるのが花巻農業高等学校だ。まだ冬休み期間ではあるはずだが、体操着の少年少女が息を切らして走っている。

 

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花巻農業高校は宮澤賢治が生前教鞭をとった花巻農学校の後身に当たる。校舎には賢治が作詞した学校精神歌の歌詞の最後の部分「ワレラ ヒカリノ ミチヲフム」の横断幕が大きくかかっている。これは偶然だと言われているが、花巻農業高校が1969年に現在の場所に移転したところ、そこに賢治が晩年暮らしていた家が建っていたという。(※宮澤賢治は死後評価されて有名になった)

高校の敷地内にある賢治の家を目指してやってきたのだが、校門の案内には冬期は閉鎖していると書かれている。ろくに調べもせずに来るといつもこうなる、なんて落胆していると走っていた生徒の一人が止まって声をかけてきた。冒頭の言葉はその少年のものだ。

「そうなんですよ。でも閉まってるみたいですね」とぼくが答えると、「ちょっと待っててください!先生に聞いてきます」と校舎へ走っていく。少し待っていると、「職員室に行けば、鍵を借りて中に入れるって言ってました!」と少年が爽やかに笑う。

岩手との出会い

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「岩辺さん、もう1ヶ月残れない?フィリピンなんて行かないで、うちで正社員になってよ」

新卒入社した旅行会社を辞めて3日後、前向きな理由と逃げているという後ろめたさを内側に同居させたまま、やってきた雪深い奥羽山脈の温泉旅館。なるべく知らなくて、なるべく遠いところ。はじめて岩手に選んだ理由はその程度だった。

太平洋側の愛知県に生まれ、大学進学を機に東京へ。大学時代にはアジアやアフリカのあったかい国を20カ国くらいぶらぶらと。仙台より北へ足を踏み入れたのはこのときがはじめてだった。

発達障害通告を決定打にものかきを志向して退職を決めたわけだが、同時に、「これからどうやって生きていくんだろう」という不安に苛まれている時期でもあった。それだけに3ヶ月と少々、難しい仕事ではなかったが、無事に勤め上げられたことは精神のリハビリとして十分な事実だった。期間中に縁あって次の仕事先をフィリピンに決めた。

章頭の言葉は支配人、料理長と一緒に遊びに行った北上のスナックで支配人からもらった。どんな仕事・環境でも、自分を必要としてくれる人がいることがただただ嬉しかった。ぼくはちゃんと参加している、と。
 

宮澤賢治とイーハトーヴォ

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来る日も来る日も降り続く雪に飽きることなく、他愛もない話をしながら働いて、夜中の露天風呂でボーッとし、出かける場所もない手前、読書に勤しむ毎日。せっかくここまで来たのだから、と2月にとれた連休で遠野へ行くことにした。

地図上ではそれほど離れていないはずなのに、旅館最寄りのほっとゆだ駅から遠野駅までは所要3時間超。もっとも1時間は花巻駅釜石線を待つ時間だったのだが。昼間ではあったが、いつも旅館で出している大船渡の活性原酒・雪っこを買って電車を待つ。駅の看板が妙におしゃれなのが気になった。

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http://www.jred.co.jp/works/other/kamaishisen/index.htmlより

ようやくやって来た2車両の電車に乗って、遠野を目指す。車窓の景色を見ているとどうやら各駅で標識のデザインは統一されている。どの駅の標識も日本語の下に英語のような、でも英語ではないアルファベットが並んでいる。

調べてみるとそれはエスペラント語であるという。エスペラント語はルドヴィコ・ザメンホフというポーランドユダヤ人眼科医が「世界中すべての人にとっての第二言語となれば」という願いを込めて19世紀末に発表した言語であり、宮澤賢治は『銀河鉄道の夜』をはじめ作品の中にエスペラント語を多用していた。作中に頻出するイーハトーヴォは「岩手県」のことだそう。そしてなにを隠そう釜石線の前身である岩手軽便鉄道が『銀河鉄道の夜』のモチーフになっているのだ。

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遠野のユースホステルで遅くまで旅好きな管理人ご夫婦と団欒した翌朝、朝日を拝もうと視界のひらけた場所まで歩く。標高の高い遠野の2月は冷たく、盆地ゆえに少し日の出も遅い。凍えながら雪原の真ん中に突っ立って待っていると、遠くの方から音がする。

コトッコトッ

7時前、すでに動く釜石線の走行音が山に弾んで集落にこだまする。銀河鉄道の舞台で聴く釜石線の足音。エスペラント語で遠野はFolkloro(フォルクローロ)」

その意味は“民話”という。

池澤夏樹が見る宮澤賢治。『言葉の流星群』より

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2年前の今頃、旅館の仕事の空き時間に知人のススメで池澤夏樹さんを読み始めた。ほぼ同時に取り憑かれた。そして昨日、久しぶりに未読の池澤作品を読んだ。『言葉の流星群』池澤さんが宮澤賢治の作品に思いをめぐらせてできた一冊。小説・エッセイ・文学解説と作品の幅が広い池澤作品だが、今回も流れる時間から解放される想いで読んでしまった。

いかに遠くまで想像できるかが、大事だと思う。人とは、日常から遠方に至るその距離感の表現者である。その意味でケンジさんはすごかった。

 

今では鉄道という言葉も何のインパクトもなくなってしまいましたが、あの時期の東北の町で鉄道がどのくらいすごいものだったか、すばらしいものだったか、鉄道のおかげでどれほど遠くに夢を馳せることができたか、これは今の人々の想像を絶するものだったと思います。

 

外の世界が詩人の心に影響するだけでなく、詩人の心が世界の側に働きかける。自我は世界から孤立したものではなく、自分は世界と共にあるという認識が心の中に喜びを呼び覚ます。交感の興奮が人の心をゆりうごかす。ボードレールの言うコレスポンデンス(万物照応)だ。

詩人は風景の中に精神的な意味を見つけることで、世界に意味があること、客観的な意味ではなく、自分にとっての意味があることを知る。それは、自分と世界が対峙しているものではなく、自然は世界の中にあることの証でもある。生きているという感じは自分の周囲の世界の間をなにかが行き来することによって伝わる。

 自然と人間の関係性について近い思想を持つ宮澤賢治池澤夏樹。時空を超えたセッションが妙に心地良い。

光のパイプオルガン

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職員室で女性職員から鍵を受け取って敷地内の片隅にある賢治の家に向かう。「羅須地人協会」と刻まれた石柱を通過すると、やや前傾姿勢で歩きながら何かを考えているような賢治の像に出会う。

2017年は友に教わった宮澤賢治の一編の詩に大いに影響を受けた一年だった。少し長いため冒頭だけの紹介にとどめておく。

『告別』

おまへのバスの三連音が

どんなぐあいに鳴ってゐたかを

おそらくおまへはわかってゐまい…(続き)

 

札幌のラッパーTHA BLUE HERBは『雨ニモマケズ』の最後にこの詩を用いた。最前列の客がまるで神を見ているような表情をしているのが印象的だ。

自分が生きていることが目の前の人にとって「問い」になっているか。友がよく口にする言葉だ。『告別』の詩は全体を通じて問うてくる。そこには一つの疑問形も用いられていないはずなのに。

すでに多くの人が放棄し、消失した使命や天命、一貫性にお前はどう向き合うのだ。俺がまだ見ているぞ、と再考を迫る。その気があれば続きを読んでほしい。ぼくはぼくの分以上には受け取れない。

光の当たる縁側で『告別』を声に出して読み、気がすんだころ家を出ようとしたところ、2階へ上る階段の下のスペースにパイプオルガンが置かれていた。

家を出て校門へ向けて歩いていると、賑やかな声に目をとられる。どうやらさっき学校の周りを走っていたのは一つの学級だったようだ。若い男教師の前で男子も女子もごちゃまぜになって楽しそうに馬跳びのリレーをしている。近くを通ると、皆がこちらに向かってバラバラに、しかし大きな声で「こんにちは!」と挨拶をくれた。

濃紺の空をたたえて青白く映る雪原の校庭を、一瞬の光が支配した。

「ワレラ ヒカリノ ミチヲフム」

最後に横断幕を目に焼き付けて、来た道を一路駅まで。

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