【さぐりさぐり、めぐりめぐり】足元を照らす旅
このブログのタイトル【さぐりさぐり、めぐりめぐり】の意味をいつか文章にして説明したいと思っていた。これは迷走の一途をたどっているように映っているであろう自分の対外的な説明であり、20代前半を通してそれなりに出来上がってきた人生のビジョンの表明である。
ぐるぐるめぐる思考
夜11時を回った頃から体が冴えだすのは大学時代から変わらない。当時、ほとんど自炊しなかったぼくは日付が変わってから近くの牛丼屋やラーメン屋に行くのが日課となっていた。こんな生活をしていると時々思う。
「いったいこの暮らしは何の上に成り立っているのだろうか」
朝から晩まで、その上こんな夜中まで、アルバイトで稼いだ少しのお金と奨学金と親からの仕送りがあれば、いつでもどこでも食べ物を口に入れることができる。あるいは、電車に乗れたり、服を買えたり、そもそも電気や水もふんだんに使っている。
東京にいると、一方的に消費する側の生活をしている気になる。それはぼくが元来不器用な影響もあるからかもしれないが、何かを“生み出す”体験をここまでの人生でほとんどしていないことに気づく。
いったいこの肉はどうしてこんなに安いのか。この服はどうしてこんなに簡単に買えるのか。電気や水はどこから来ているのか。
モノは溢れ、街やメディアには広告が散らばり、飽食の国。物理的にはこの上なく豊かで、戦争や疫病に今日明日の生死を脅かされることもない平和な暮らしの享受。この豊かさはいったい何に起因するのか。間違いなく、どこかでしわ寄せを被っている人がいるはずだ。
当時のぼくは社会学や国際協力分野を学び、長い休みにはアジアやアフリカを1ヶ月くらいかけて旅をしている大学生だった。考えてみれば、「旅」という行為こそ、明らかに経済格差に則った圧倒的理不尽の象徴なのではないか。
卒業後、フィリピンに1年半ほど滞在して働いていた。たびたびローカルな人と食事をして話す機会があった。その際に自己紹介の一環として旅のことを話すと、「いいなあ。どうやったらその年齢でそんなに色々な国に行けるの?」と返ってくる。ぼくはこの問いへの答え方をまだ知らない。
原体験の旅
頭の中がループ思考に陥り、答えのない問いのようなものにとらわれる日々は旅をするようになってからはじまった。
アジアやアフリカの国々では第一次産業、第二次産業の比重が高く、肉体を使った労働というものが否応なく目に入る。彼らは何かを作っている。多くの国では「首都」と「それ以外」という構図が顕著だ(中央と地方という問題は日本も例外ではない)。首都を除いた地域で暮らす人々の多くは農業や時折見受けられる工場に従事している。
印象的だったのが、エチオピアの地方で聞いた話。エチオピアの地方は、ぼくが知っている中で子どもたちによるお金の要求がもっとも激しかった場所だ。
「日本では1家庭で平均して1~2人の子供を育てるのが平均だ」と言うと、子供が5人いるという男は「どうしてそんなに少ないんだ?1人でも死んじゃったら終わりじゃないか」と答えた。子供への愛に疑いはなさそうだが、ここでは労働力としての意味合いも強く感じられる。その妻であろう女性が旅行者を見かけるなり、子どもたちに「ほら、いきなさい。“マネー”よ」とけしかけているのを見た。
自分で養える以上の子どもをかかえている人々は、たぶんほとんどの場合無知のゆえにそうしているのであり、彼らが意識的に悪用をはかっているのだと非難するわけにはいかない。(『利己的な遺伝子』リチャード・ドーキンス より)
手の届く暮らし
東アフリカの内陸部にあるウガンダで、家庭の事情で育てられなかったり、親が亡くなった子どもを預かって生活しているコミュニティで10日間暮らしたことがある。よく聞く話かもしれないが、そこには水道はなく、電気は管理者の部屋に限られていた。ぼくが訪れた時期はちょうど近隣の学校が休暇に入って、子どもたちは一日のほとんどをコミュニティ内で過ごした(とはいえ付近に人工的なものはほとんどないから決して窮屈なわけではない)。
毎日朝と夕方に、ぼくの腰ほどの背丈の7歳の少年2人と歩いて20分ほどの井戸に水を汲みに行った。昼にはジャガイモ掘りやトウモロコシの収穫、ヤギの放牧も手伝った。鶏や豚小屋の掃除をして、隙間時間には子どもたちに手をひかれてマンゴーの果実を取りに行ってその場でかぶりついた。誰かの誕生日をはじめとした特別な日には鶏を一羽絞めていつもより豪華な夕食を楽しんだ。
外から見ていると、とてものんびりとした光景に見えるが、意外にもルーティンワークが多く、一日は日の出の少し前に始まり、日が沈んでご飯を食べると床に入るという秩序をもって進んでいた。
当初、「いったい自分はその場でどんな貢献をできるのか」ということを考えていたが、結果的にはその暮らしからインスピレーションを受けるばかりであった。物が本当に乏しく、近くにある商店では食料以外のものを買ったり修理したりすることは極めて難しい。
あるとき、年少の子がマラリアにかかり、15歳のリーダー的な少年が隣町の病院まで自転車に乗せて送って帰ってきたところ、自転車の前輪に穴があいてパンクしてしまっていた。片方の足をかけるペダルがないような自転車であったが、これが使えないことの損失は大きい。
心配して見ていると、その少年は何食わぬ顔で火を起こし、落ちていた何かの破片を穴の部分に当てて、接触部分を溶かしてくっつけてしまった。「何がどうできているのか」、とか「こうでなければいけない」というぼくの発想がぶち壊された。そのもの本来の役割ではない使用方法もありなのか、と。
畑の世話をしていろいろな作物を育てる。やがて収穫して、それをあのキッチンで料理し、あの食堂でみんなで食べる。その直結の感じがいい。(『光の指で触れよ』池澤夏樹 より)
鶏を絞めて、羽根をむしって腸を取り出して鍋に放ったのもこの少年である。聞けば、ヤギの解体もできるという。どれもぼくには到底できないことだ。
他にも、昼間収穫したポテトやトウモロコシを料理して、夕飯の食卓に並んでいる光景には充実感が伴った。手の届く範囲で出来事が完結していて、理解できないもの、見えないものが何もない。つながりが理解できる暮らしには生きているという手応えが伴う。
生産と消費の間にあるブラックボックス
はじめて仙台以北に足を踏み入れたのは大学卒業後のこと。WWOOFという人の手伝いを欲する農家と節約して旅をしたいバックパッカーや純粋に農業に興味があるという人をマッチングするサービスを利用して、青森県六ケ所村へ向かった。
学生時代から数えて述べ20を超える国を訪れた中でも、そのいびつな光景は頭に強く焼きついた。4月といえど所々に雪が残り太平洋から吹く風は冷たい。鉛色の低い空の下、見渡す限りの丘陵地帯に数え切れないほどの風力タービンが無表情に回っている。それら風車の丘の底部には日本原燃の所有する核燃料再処理工場が構えている。
かろうじて長芋と漁業を産業とした寒村・六ヶ所村に核再処理施設を立てようと政府が選定し、動き出したのは1980年代半ばのこと。チェルノブイリ原発事故が1986年に起こった際には村内でも激しい闘争があったという。1980年代には反対勢力が強かったが1990年代に入ると衰退し、財政事情ゆえ、ついに施設を受け入れる方向に動き出した。
2016年に厚生労働省によって発表された都道府県別の年収状況では、青森県は365万4800円で、全都道府県中、下から3番目の結果であった。そんな結果とは裏腹に六ヶ所村では比較的立派な建物やエネルギー関連のアメニティ施設などを見かけられた。補助金の存在は大きい。
「結局お金にはかなわないのか」と都市部に住むぼくたちが、村民に対して落胆の態度を示すことはフェアではない。日々莫大なエネルギーを消費する真の当事者は福島や六ヶ所村にはいない。
ほとんどの原子力発電所は大都市圏や主要都市から器用に距離を取られた立地となっている。東京と仙台の間に福島があり、東京と名古屋の中間に浜岡がある。エネルギーの恩恵を存分に享受するのはいつも都市で、決まってリスクは周縁部の果てに追いやられる。
だって一方の奴は暗がりに住み、もう一方は光の中にいる。光の中にいる奴は見えるが、暗がりにいる奴は見えっこない。(『世界の半分が飢えるのはなぜ?―ジグレール教授がわが子に語る飢餓の真実』ジャン・ジグレール より)
「自分たちでつくって暮らしていく」という代案
たまたまぼくを受け入れてくれたホストが、数年前まで原子力反対の立場で村長選挙に数回立候補していた菊川慶子さんという女性だった。ぼくの訪れた前年2015年の結果は百桁と千桁という大差で原子力推進派の候補に敗れた。集団就職でしばらく関東に暮らしていたものの、1986年の反対運動で故郷の問題に関心を持って戻ってきた。
危険な原子力に頼らずに生きる術はないのか、と半生をかけて代案を探していることは粗雑に積まれた本棚が語っていた。片付けることが苦手なのだという。なだらかな丘の畑では生計を立てるための有機無農薬のチューリップやルバーブの他に、自分たちの食べられる野菜が育てられていた。
できることの少ないぼくはよく家の裏手に積まれた薪を割った。古い家屋では現役の薪ストーブ、さっき割った薪が炎の勢いを加速させ、冷えきった身体を今暖めている。
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「命」が「肉」に変わる過程
先進国日本は物価のわりに食費が安い国として対外的に知られている。牛丼やハンバーガー、コンビニのチキンなどで驚くほどお金をかけずに一食分のお腹を満たすことができる。硬貨数枚(ときには1枚)でいつでも肉が食べられる。いちいち倫理的なことを考えることなく、今日も至るところでぼくや誰かが各々の胃袋へと放り込む。
良くも悪くも「むき出し」なアジアやアフリカでは、「命」が「肉」になる過程をたびたび見かける。方法は地域によってそれぞれ微妙に異なり、エチオピアの地方部の森では暴れるヤギの脚を手伝いに来ていた息子が抑えて、少年の父親が喉元に大きなナイフを当てているところに遭遇した。
喉元からは濃厚な血が垂れ、動かなくなったヤギの後ろ脚を折って太めの木の枝に吊るす。脚を折る音は木の枝を折るのと同じ音だった。ひとしきり血を抜いて皮を剥ぐ頃にはすでにヤギというよりも肉と呼ぶにふさわしい様相だ。ほんの数十分前まで、水と食料を求めて野を歩いていた生命は瞬く間にものへと姿を変えた。
切り開いた体内から長い腸を取り出し、排泄物や消化中の草をすべて素手で搾って出した。近くに大人しく座っていたパートナー犬の方に生肉の切れ端を投げると一瞬で平らげた。
誰もが担い手になる社会
フィリピンの結婚式や誕生日パーティーなどめでたい宴では必ず豚肉が見られる。多くの地域ではレチョンと呼ばれる丸焼きが有名だが、ぼくの滞在していた山岳地帯バギオでは数種類に料理される。
一度、お世話になっていた現地NGO団体関係者の結婚式の前日、豚を2匹絞めるところを見たことがある。現場にはラフな格好の新郎を含め、6人ほどの男たちがリラックスした様子で談笑している。
殺める2匹の豚はまるっと肥えている。作業は裏庭でこっそりとするわけではなく、通り沿いで平然と行われる。最初に太い棒で後頭部に強い打撃を与えると豚は痙攣する。ヤギよりもずっと悲痛な叫びが響きわたる。通行人は横目でその様子を確認しながらそのまま進んで行く。近隣の子どもが数人静かに様子を眺めている。
木の台に乗せた豚の喉元に大きなナイフを入れるとトロッとした血液が側溝へと流れていく。その後、ビニールシートに移して全身に麻袋を被せてお湯を染み込ませて身体の毛を削ぎやすくする。同じくバーナーの火を表面に当ててチリチリと音を上げる頃にはほのかに肉の香りが辺りに漂っていた。「ああ、この匂いは知っている」と。
それらいくつかのフローを経て、皮を切り開いて腸を取り出し、日頃スーパーで見慣れた部位へと丁寧に切っていく。翌日、結婚式で食事をご馳走になった。前日の肉は喜びの時間を鮮やかに彩っていた。
肉と米を主な食文化とするフィリピンにはもちろん精肉工場は存在する。しかし、ここで紹介したような処置を一般レベル(誰もが、というわけではないが)の人が行ってしまえるということがぼくにとっては大きな衝撃だった。もちろん彼らは豚を絞める専門でも、それを生業としているわけでもない。それでも、動物の扱い方や肉の仕立て方までが個人の知に蓄積されているという事実に焦りと嫉妬のような感情を抱いた。
自分の手で命を扱う
自分の食事や生活に、あらゆる命の生き死にが関与していることは明らかだ。それなのにぼくの生活からはその「生」や「死」の姿が見えない。それは「出元がわからないから身体が心配」という実害の懸念ではなく、個人として存分に恩恵を預かっており、明らかに関与しているはずの「生の循環」を第三者(もしくはより仲介的な存在)に委ねてしまっていることへの不安だ。
この状況はあべこべな現代を説明する上で欠かせない。リーズナブルなファーストフードやファーストファッションの恩恵を多大に享受しておきながら、他方ではそれが遠いどこかの誰かや何かにかけている負担の大きさを実感どころか想像を喚起させることもない。
それでもどうしてぼくはすき家やマクドナルドに行き、ユニクロの服を着るのか…最大の自己矛盾だ!
現在、残念ながら人間は、野生と分断された存在といえる。法治国家に属する以上、法令遵守は原則である。だが私たちは現代人である前に、自然の生命体にほかならない。法律は自然の掟に内包されると私は考えている。
法律、道徳、常識の外側に出たとき、そこにあるのは太古からの自然の法則だけだ。人権など存在しない。お金を払っても吹雪は止まない。地獄の沙汰も、知恵と肉体と奮闘でなんとか乗り越えなければならないのだ。(『サバイバル登山入門』服部文祥 より)
かつて人は現代社会の礎となる農耕定住ではなく、狩猟採集という生き方を採択していた。もともと身体一つで見れば決して自然界の強者でなかった人は獲得した食糧は蓄えずにその場で消費していた。毎日は食糧を獲得するための冒険の日々であった。
この時代には口に入れるものがそのまま生存に関わることから、自然界の知識を幅広く持っていたと言われている。また外だけでなく、組織の機能していない状況なだけに個人の知能や技術レベルは歴史上最も優れていたと言われている。
その後、恒久的に得られる食糧を増やそうと農業という手段にシフトする。食糧の総量は増えたが、同時に人口は爆発的に増加し、それを管轄する支配者も現れた。結局少数の者は狩猟採集時代よりも楽な暮らしができたが、多くの者は以前以上に働き、ありつける食物は動ける時間の制限であったり、身体機能の低下によって減った。
また定住する土地という物理的資産を何より優先したゆえに、それが奪われてしまったときにほとんど生きる術を持たなかった。大げさかもしれないが、何もできることがないということをある時からものすごく怖くなったのは、「条件付きでしか生きていけない自分」に気づいたからなのかもしれない。
随分と狩猟を擁護した書き方になってしまっているが、狩猟という生き方には動物や植物を殺めることによって食料を獲得するという不安定さの上に、自らも生態系のプールに参入していて、自身が犠牲になるという可能性も大いに秘めている。それは動物に襲われることにとどまらず、気温や気候など自然環境の猛威によるものであるかもしれない。
言わば、「生きている手応え」と「今日死ぬかもしれないという恐怖」が表裏一体だということを考えなくても実感していた生き方とも言えるのではないだろうか。あらゆる生き物が生きていること自体で躍動的な姿をしている中、人だけが自殺という選択を採択できてしまうのは、人が生死の競争(生態系のプール)を離陸しているところにも少なからず起因するのではないだろうか。
社会の秩序が乱されるのは、いつも退屈さからだ。また退屈さからくるばかげた行為からである。(『幸福論』アラン より)
死を意識しなくてもいい世界とは、同時に幸福になれない世界なのかもしれない。
めぐりめぐる世界
『さぐりさぐり、めぐりめぐり』というブログタイトルに決めた直接の契機となった一曲。
遠い国の山のふもと この世で一番綺麗な綺麗な水が湧いた
やがてそれは川になり そこに群れを作った魚を
腹を空かした熊が食べて 猟師が熊の皮をはいで
それを市場で売りさばいて 娘のために買った髪飾り
悪い人間がやってきて 全部奪ってしまったのは
歴史のちょうど真ん中辺り 神様も赤ん坊の時代
母親のこぼした涙が 焼けた匂いの土に染みて
それを太陽が焦がして 蒸発して出来た黒い雨雲…
もはや説明もいらないくらい、生きとしいけるもの同士の関連性が物語のようにそのまま歌詞となっている。
誰もが転がる石なのに 皆が特別だと思うから
選ばれなかった少年は ナイフを握り締めて立ってた
匿名を決め込む駅前の 雑踏が真っ赤に染まったのは
夕焼け空が綺麗だから つじつま合わせに生まれた僕ら
なかでも秋葉原無差別事件について隠喩しているであろう上記の歌詞が印象的だ。メディアはそれを単体の「狂気」として一蹴したが、そこに至るまでに加藤容疑者はさまざまな影響を受け、要因が絡み合って、事件へと繋がっていくという背景がある。犯行は一人の行為ではあったが、その存在を作り上げることに加担した人々は少なくない。
シエラレオネの紛争ダイヤモンドが映画のメインテーマ。レオナルド・ディカプリオが主演で有名な一作である。
ストーリー自体はフィクションだが、シエラレオネの紛争や武装組織による少年兵問題などは事実に基づいている。大切な日を祝福するために先進国の人々が買い求めるダイヤモンドが採掘されるためにどんな裏側があるのかということが生々しく描かれている。自分の身の回りにも、「もしかして」な物がないとは言いきれないだろう。
個々人の認識の拡張
はじめてインドに行ったとき、客引きの鬱陶しさや呼吸レベルで出てくる嘘、ありとあらゆる無慈悲な騙しで参ってしまった。「いったいどうしてそんなに困らせるんだ」と思ったが、彼に想像力が足りないのと同様にぼくにもそれが足りていない。
もし仮にそれまでの20年の人生をインドの下層階級に生きてきたとしたら、好きなところへ行ける自由を持った旅行者の倫理や道徳などを理解できただろうか。人は環境に依存した生き物だ。「世界基準」という言葉がちらほら聞かれるが、それさえも「(力を持った)誰かの(偏った)基準」である。受けてきた影響の蓄積が人を形成している。当然“異なる正しい”教えを受けた者同士は、正しさを自らの側にあると主張しあい争いが生まれる。
世にある戦争の多くは「正義と悪の戦い」と思われがちだが、そうではない。母親のごとく心身に浸透した信仰の正義をかけた両者の戦いなのだ。それら戦争は決まって(退屈な)少数のエリート層によって始められる。
「例えば、池には水がある。井戸にも水がある。川や海にも水がある。雪でさえも水だ。これらの水は同じ元素の特定の現れなのだ。水はさまざまな形で現れ、その現れた形は気候や地理的条件と特定の関連を持っている。普遍的な水と、さまざまな形で現れた水との間に矛盾は存在しない。唯一の『水』という存在があるというよりは、『さまざまな水』が存在するのだよ。同じように、唯一の『真実』が存在するというより、『さまざまな真実』がある。唯一の『宗教』があるのではなく、『さまざまな宗教』が存在するのだ」
「池に住み海を見たことのない蛙は、海なんてものがあるかどうかを魚と議論し、池の水が唯一の水だというかもしれない。蛙は特定の池を好んで、他の池を嘲ることだってありうる。これは視野が分断されてしまっているからに他ならない。賢人の目には、これらの多様な水の間に根本的な違いはない。なぜある真実と他の真実、ある宗教と他の宗教、という議論で時間を無駄にするのだろう?なぜ第三の目を開き、多面的な現実を見ようとしないのだろう?」(『君あり、故に我あり』サティシュ・クマール より)
ぼくの信条は「これは真なり。あれもまた真なり」つまり「これもありだし、でもあれだってありだよね」という考え方だ。ジャイナ教では「唯一の真実はない」という意味で「アネーカーント」と呼ばれている。
人が環境に依存しているということは、所属する環境が正しいとしている教えを当然正しいと思うことだろう。それは呼吸するように吸収されており、日頃あれこれ話し合うようなテーマではなくなり、「当たり前」となる。その場所にずっととどまっている限り、それは絶対的な正義として確立・君臨し、自身への問いを持つこともなくなるだろう。
移動は現実を拡張する
それでも、誰かが、向こう側のことを考えた。あっち側には何があるか。その男は(男だったとして)、こちら側では辛かったのかもしれない。誰かにいじめられたり、女に捨てられたりして、絶望していたのかもしれない。あるいは猛烈に好奇心と冒険心が旺盛で、どこへでも行きたがる男だったのかもしれない。(『すばらしい新世界』池澤夏樹 より)
その山の向こう側、「外側」の存在に思いを馳せるのは素朴な疑問を好奇心に変換させた者や、その場所では生き辛く、新たな環境を模索した者であることが多い。
例えば、その新たな場所ではそれまで暮らした場所とはまったく違った言葉が話されていることもあれば、別のしきたりや教えに従って暮らしているかもしれない。そんな例を自分の中に増やしていくことで、自分の信条や価値観、またはそれらを育んだ場所を相対的・客観的に見られるようになる。
どちらが正しいという話ではなく、「確かに、ここでならこのやり方の方が理に適っている」と理解できたときに「正しさ」が絶対的でないことを知る。若いときに旅をした方がいい、と大人がよく言うのは、なるべく凝り固まっていない時分に認識を拡めておくことが対外的な関係にとどまらず、自身との平和を築く上でも重要であるからだろう。
物理的な移動はもちろんだが、暮らし方や考え方の違った人のレイヤーを飛び越えることも旅と呼びたい。そうすることで、ただ生きていることがそのまま問いと向き合う日々になる。世界は変えなくとも、そもそも現実が多彩なことに気づくだろう。発見すること、新たなことを知ることは豊かなことだ。
ブログで伝えていきたいこと
このブログの根底にある意義は「書きたいことを書いていくための聖域」であり、エゴの結晶である。しかし、幸か不幸か優柔不断なぼくの思考はこれからもどこかに落ち着くことなくしばらくは旅を続けることは間違いない。
その過程には物理的な移動も、付き合う人々の移ろいも、手に取った本や旅先での発見も得られるだろう。この記事で書いたことは、現時点までの「さぐりさぐり」の結果として到達した考えの欠片を集めたものである。
これらの少なくとも個人的にはパラダイムシフトと思えた着想や小さな村の素晴らしい教訓を都度言葉にしてシェアしていきたいと思っている。それらが結果的に誰かにとっての「どこかに行ってみよう」「何かはじめてみよう」というなんらかの形の「移動」を喚起することになれば本望である。
追走は全くおすすめしないが、自分には起こらなかったもう一つの人生として追体験できる軌跡を残していければと思っている。
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