場所と運命〜東北の春の記憶より〜
ある季節がやって来るたび、特定の出来事がフラッシュバックされることはないだろうか。匂いや音楽によって蘇る記憶だってあるかもしれない。そんなものを季節と称しても良いだろう。とりわけ、春には年度のピリオドによるイベントが一挙に行われる。
悲しかった別れ、嬉しかった離散、期待に胸を弾ませたスタート、不安でいっぱいだった始まり。
季節に紐づいた個人的な体験を誰しもが持っている。同時に、多くの人がある時期になると否応なく突きつけられる記憶というものもある。間もなく7年目を迎える「3.11」は、東北地方の太平洋側に暮らす、もしくは暮らしていた人々はこの日をどう迎えるのか。
それらを踏まえて季節と記憶、加えてその舞台となる場所と人について書きたいと思った。
春を恨んだりしない
またやってきたからといって
春を恨んだりしない
例年のように自分の義務を果たしているからといって
春を責めたりはしない
わかっている
わたしがいくら悲しくても
そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと*1
震災から5年目の春、3月11日は2011年と同じ金曜日にやってきた。その頃読んでいた池澤夏樹さんの震災取材のエッセイ集『春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと』にあったヴィスワヴァ・シンボルスカの詩「眺めと別れ」がやけに頭に残った。
ちょうど岩手県の湯田(ほとんど秋田との県境)にある温泉旅館に住み込みで働いていたぼくの職場には、震災を機に陸前高田からやって来たという年配の男性スタッフがいた。深夜の大浴場でときどき話を聞く機会があった。陸前高田にはすでに年単位で帰っていないと言っていた。自宅を流され、現実についていけなくなった母親の頭はその日を境におかしくなったという。
▼ソース
「辛いのはね、前を向かなきゃいけないって気付いたときだった」*2
震災直後の不思議な結束感を経て、やがて「また始めなきゃいけないのか」という現実を突きつけられたときに多くの人が苦悩した。「もう帰らない」と言っていたあの人は、あの日を恨んだりしていないだろうか。
東北の桜は他の地域よりも1ヶ月遅れて、ゴールデンウィークに満開を迎える。まだ雪の降ることもある3月を人々はどう捉えているのだろう。
今日が良くても悪くても
岩手県の温泉旅館の契約期間を満了して、「せっかくならもう少し北へ上るか」と向かったのが青森県は六ヶ所村だった。4月だというのに雪の残る六ヶ所村では農家に住み込みでお手伝いをさせてもらうことに。
受け入れてくれたのは風の吹きつける丘陵地帯に佇む2階建の家屋に暮らす60代の女性だった。棚におさまりきらない膨大な本が床に散乱している。片付けるのが苦手な人だった。書籍の多くは原発、核燃料についてのもの。実は数年前まで村長選に毎年立候補しており、村の内外で反原発の活動家として知られていた。
六ヶ所村といえば、原子燃料サイクル施設に加えて、国家石油備蓄基地や、風力発電機能が集中しており、寂しい丘陵地帯には無機質な風車が何十と立ち並んでいる。エネルギーの供給源であるその光景は歪と言う他なかった。
多くの村民が「済んだ問題だ」と黙認している原子力問題に、一人拒絶を訴え続ける彼女の選挙結果は毎年同じだった。心なしか、周りの集落との距離も遠い。
▼ソース
午前中の作業を終えて、室内でごはんを食べていると、鍵のかかっていない玄関がガラガラと開いた。やって来たのは隣町の農家のおじいさん。たくさんできたという長芋を分けにきたついでに好きなことを小一時間気ままに喋って帰っていく。得意の歴史や地理のうんちくの合間に聞いた言葉が妙にしっくりと来た。
「私たちは農民です。埃(誇り)をはらって生きていくのです。」*3
たとえ今日が良くても悪くても、明日はそんな文脈を一切気にせずやってくる。小屋の道具に付着した埃も、豊穣の誇りも明日には持っていけないのだ。そんな刹那の連続が農で生きるということなのかもしれない。
「諦め」という態度
我々は諦めるという言葉をよく使う。語源に戻って考えれば、「諦める」は「明らめる」、「明らかにする」である。事態が自分の力の範囲を超えることを明白なこととして認知し、受け入れ、その先の努力を放棄して運命に身を任せる。我々は諦めることの達人になった。 *4
最近読んだ『サピエンス全史』によれば、人類が下した農業革命という決断が果たして幸福を選びとったのかは疑問であるといった内容の記述があった。人は田畑を耕し、決まった場所で安定した食料を得られることから定住を始めた。
人が田畑を手なずけたというのが一般的な見方ではあるが、一方で、小麦や米が人間をその場所に縛り付けて奴隷にしたとも言える。狩猟採集をやめ、食料・財産を土地に依存した人はその場所を簡単には離れられなくなった。そこには侵略の恐れという心配事もある。守るものができた人は人を相手に武器を取った。20世紀の六ヶ所村でも原子力の危険と経済状況を天秤にかけた幾分か複雑な形の攻防が行われた。
人の争いはすでに原子力によって人の手を離陸し、気まぐれな自然による土地の浄化には為す術もない。その場所で生きると決めることは、時折見られる自然の作用や見えない争いの中で一息にそれを失う可能性があるということを認めることでもある。
それら人の手を離れた圧倒的な出来事を前に、人が見つけられる唯一の対処法が「諦めて、また始める」ことなのかもしれない。
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