『テロルの決算』と人の眼差しーー傲慢な解釈を嫌悪する
人が人に向ける眼差しはときにほとんど信用できない。対象の属性と論客気取った思考主の妙に自信満々な想像力で為される粗い解釈は、一人の人間をあえて要素にまで解体したりはしない。
沢木耕太郎の著書に『テロルの決算』(文春文庫)がある。沢木耕太郎といえば、一般的に『深夜特急』(新潮文庫)を筆頭とした紀行文作家としてのイメージが持たれる。
痺れるインタビューだな。後世に残る作品を書きたいと思ったことはないけど、使い勝手が良いものを目指したって部分。まさに、はじめて紀行文を書くときに沢木さんの語り方の影響を存分に受けてた/沢木耕太郎が70歳を過ぎても「文章の探求」を続けられる理由 https://t.co/vFXTOK7zZb #現代ビジネス
— 岩辺 智博 (@tomotaro0106) 2019年2月4日
私自身、「バックパッカー」という文脈から著者を知った一人だ。キザな語り口と自己問答が魅力的な書き手だが、一方で「ニュージャーナリズムの旗手」とも呼ばれている。緻密な取材に裏打ちされたルポルタージュ風小説の代表作として『テロルの決算』が挙げられる。
この本で取り上げられるのが、1960年10月12日に日比谷公会堂で発生した日本社会党委員長・浅沼稲次郎刺殺事件の容疑者・山口二矢の一生である。驚くべきは犯行当時の彼が齢17の青年だったという点であり、沢木が『テロルの決算』を執筆するに至ったメインテーマでもある。実際にあとがきにもこうある。(以下、引用はすべて『テロルの決算』より)
十七歳の少年が計画的に、人を殺すなどということがありえるはずはない。まして政治的なテロルを、しかもたったひとりで行なうことなど考えられない。きっと背後で糸を引いていた人物がいるにちがいない。山口二矢はその誰かに踊らされていた人形にすぎないのだ。ーー私には、このような見方の底に隠されている他者への傲慢さと、その裏返しの脆弱さが我慢ならなかった。
それは山口二矢という十七歳ばかりでなく、同時に私の十七歳に対する冒瀆ではないか、いやすべての十七歳への冒瀆ではないか、と思えた。あなたは十七歳の時、人ひとり殺したいと思ったことはないのか。少なくとも、私にはあった…。
作品では、山口の生涯を忠実に追うことで、少年がナイフを握るに至るまでの主観的な心情の揺れ動きを追体験し、つじつまを合わせに行く。
病弱で小柄な少年が仲間に苛められる。しかし、そのようなことは二矢をいじけた弱々しい性格の子にはしなかった。むしろ、横暴なもの、不公正なものに対する鋭い反撥心と、潔癖すぎるほどの正義感を育むことになった。
二矢が欲していたのは、「どちらが正しいか」自由に判断させてくれるような人物ではなかった。暗い苛立ちの流出口を見つけ、鋭い反撥心に的確な方向性を与えてくれる人物こそ、必要だった。
彼のまわりにいるすべての右翼は、「時が来たら立つ」とだけしかいわないのだ。だが、いつかなどという時は永久に訪れないのではないか。立つなら今しかなく、いつだって今しかないのだ。今立てないなら永久に立てないということだ。二矢には右翼人というものへの疑問が芽生えるようになっていった。
パターン、プログラム、そしてAI。カテゴライズ、タグ打ち、解像度の粗い解釈とそれに対する憤り。大きな主語で語られる言葉に敏感でありたい。
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