さぐりさぐり、めぐりめぐり

借り物のコトバが増えてきた。

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「難しくてニュースがわからない…」素人ジャーナリストの取材2.0

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「新聞読んでる?」

「ああ、まあね(スポーツ欄くらい)」

世の中のこと、知らなきゃいけないとは思うけどニュースとか新聞を読んでても難しい言葉だらけでイマイチよくわからない。低い選挙の投票率や減少の止まらない新聞の購読数。本当のところ、ぼくも新聞はとっていない。情報はもっぱらTwitterの各ニュースアカウントから流れてくる投稿で、気になる見出しのものだけ開いて読んでいる。

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弱さの直視が新たな強さの契機に。『フラジャイル』より

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シンデレラがなくした片方の靴は、全世界の神話伝説が秘める「欠けた王あるいは弱足の物語」を継承する。


「今日も事態は好転しなかった」と頭を掻いては仕事に停滞感を感じていた頃、「まだまだ踏ん張って飛躍するんだ」という想いとは裏腹に「次に休みができたらどこに行こうか」という現実逃避が頭に占める割合を膨らませていた。

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カメラの前では誰でも役者。しかるべき被写体像に寄せに行ってない?

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ナイター中継を気にしながら家族で夕食を囲む夜7時。そこに突然鳴る電話の呼び出し音。慌てて受話器を取った母親の声は5秒前のそれと明らかに違う。

この違和感を少年時代に多くの人が一度は抱くことと思う。

それは受話器の向こうにいるおそらく知らないであろう人に向けて用意された母の外向けの声であった。電話に限らず、気づけば人は多くの“しかるべき対応”を身につけているものである。

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場所と運命〜東北の春の記憶より〜

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ある季節がやって来るたび、特定の出来事がフラッシュバックされることはないだろうか。匂いや音楽によって蘇る記憶だってあるかもしれない。そんなものを季節と称しても良いだろう。とりわけ、春には年度のピリオドによるイベントが一挙に行われる。

悲しかった別れ、嬉しかった離散、期待に胸を弾ませたスタート、不安でいっぱいだった始まり。

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【『幸福論』アラン】不幸になるのは簡単、幸せになることは難しい

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不幸になるのは何もむずかしくない。ほんとうにむずかしいのは、幸福になることだ。

 

またひとつ大切な本に出会った。最近は「幸福」とか「苦悩」とか、なんだか抽象的で大きなテーマの本ばかり読んでいる。図書館も時間も比較的自由に使える学生のうちからこんな本を読んでおけばよかったと思わないでもないが、無数の本の海からこの本を手に取ったのが今なのであれば、それが自分の読むべきタイミングなのだろうと納得もしている。

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発達障害児童と保護者『夜間もやってる保育園』より

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10月から通っている毎日新聞社GARDEN主催の毎日ビデオジャーナリズムラボ。市民ジャーナリズムにおける映像表現を学ぶ全6回の連続講座も折り返し地点。最終回に向けて各々が卒業制作に向けてトピックを決めて取材・撮影の準備に取り掛かっている

卒業制作は「私の伝えたい現場 –1人の視点から見る-」というテーマのもと、5分の動画にまとめることになっている。第4回の1月はその予告編を1分間の動画にするという課題設定だ。以下、ぼくの提出動画。

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渇愛は苦しみの正体。難しい「今への集中」に幸福を見出す

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楽しいことをしている最中、「今日が終わったら」とかよぎってしまうことはないだろうか。明日からの日常を思ってはどうしようもなく寂しくなる感覚のことだ。ディズニーランドで花火を見ていたり、オールナイトのカラオケで朝4時くらいに襲われる“あれ”だ。

終わる前から、もう終わった後のことを想像して憂鬱になる。今に集中できていない状態。仏教の教えによれば、これはいわゆる渇愛と呼ばれ、苦悩の根源だとされている。

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